2018/06/15
2016年「影と花と」という詩集を出した(思潮社)。その前の『青い藻の海』(思潮社)は、大切な人と、福島大災害での「生きるもの」の死に遭遇して、喪失感から抜け出せない中で書いた詩群だった。庭の花をぼんやり眺める日々の中で、花を植えるときは少々大騒ぎをして土を掘り、肥料をやり、水をやりするが、散る時はそれぞれの仕方で散っていくのをそのままにしていた。あとは庭師が落ち葉などを掃いたり、枯れた花を切ったりして、技術者らしい手口でさっさと後片付けをする。その庭師がいない今は、散ったり、枯れたりした時の姿がそのまま放置されて残り続けている。それらはやがては色が変わり、灰色になって、土にまじって見分けがつかなくなるのだが、それには長い時間がかかり、その時間は人が気がつかないうちに経っていく時間なのだ。
私は花が枯れていくのをずっと見ていたので、花の残りが消えてからもそこには影のようなものが残っていると感じた。その影は日が経つにつれてはっきりしてきて、花とは切り離された独自の存在になり、人の心を誘うようになってきたのである。影は花の死後の世界から来たのであるけれど、それがどこへ誘おうとしているのかはよくわからないままだった。自分の影であるようにも思える時があった。
高野ムツオさんの句
わが影を今薄氷が通過中
水際に立ってそこに映っている自分の影の上を、流れて来た薄氷が通過していくというさらりとした影の句だが、薄氷という水と時間の流れ、そして影も時間の推移 の中に立ちては移り消えていく自分の投影であり、深い心の中を自然の一瞬の流れに描いた秀句である。
私の「影」もやがて消えていった。今度影に出会うのは庭でではなく、影の世界でかも知れない。影に会いたいとは花を見るたびにいつも思っている。
2018/06/10
「カリヨン通り」18号編集中です。表紙は三代目。創刊号は学生さんの応募作品。城西国際大学へ向かう駅からの通りをカリヨン通りと名ずけてメデイア学科の学生たちがポスターのデザインコンテストに応募して選ばれたものの一つです。2代目はささめやゆきさん。現在の表紙は篠田桃紅さんです。
2018/06/7
伊藤比呂美さんは生活の本拠がまだアメリカで、サンディエゴー熊本ー東京間の移動が続く生活だった。その上にノールウエーを始め多くの外国へ出かけるので、連絡するときは地球のどこにいるのかを知るのが楽しみだった。その伊藤さんが、東京での講演を引き受けてくださり、予想以上の自由で楽しい講演会、ならぬ、対談相手の私も早くから参加した、自由トークとなった。伊藤節満開の、そして女性にとっては重要な課題に直球で抗戦する伊藤さん特有の語り口と思想に満ちた講演、対談となった。私にとっては長年手がけてきたテーマを語り合う良き機会となり、反論もでて、さらに考える契機をいただいた。
講演の中心テーマは「身体」で、閉経後の女性が、社会からどのように見られ、扱われるか、と同時に、自分自身が、体の変化に、あるいは変化の予想に、どのように対処していいのか、迷い、悩みながら老年期へと進んでいくことを指摘し、自身の経験を交えて、内面化される女性としての苦悩や苦痛、自信喪失から解放されるには、自分自身が身体の変化に心も頭脳も伴走していくためのユーモアの感覚と現実凝視の視点が必要だと述べる。それは臆せぬ敗北感や自嘲的な笑いに満ちていて、女性自身が自分の現実に怖じずに向かい合うことの勇気を与えてくれるだけでなく、実に楽しく聞くことのできる講演だった。閉経期なんか怖くない、である。
しかし「平家物語」をもじった書名の「閉経期物語」というエッセイ集の底を流れるのは、平家物語と同じく失われたものを悼む愛惜の気持ちであり、いずれは滅びていく我が肉体への愛おしみである。伊藤さんは生と死の間にある痛み、死後の生き物の姿、短時間だけ生きていた時の姿を留める遺骸に、そしてそれが消えた後の地面の窪みなどの印に、凝視の視線を注ぐ詩人だ。やがて生き物である人間も遺体という、身体とものの間に置かれ、その短い時を居場所とする運命にあることを告げているように思う。伊藤さんが最近は野生の残る草場でコヨーテに食べ残された生き物の残骸、それが地面に残した穴などを見て回っているのも、生き物の「生きる」と「終わる」の究極の姿とその痕跡を見るためなのではないだろうか。生と死の間を占める究極の痛みについては『切腹考』へ議論を向けたが、ここでは二人の意見が噛み合わないところがあって、私には大きな刺激となった。私は切腹は武士社会という閉塞した、規律だけが建前として優先されるホモソーシャルな権力社会での、権利者による究極のいじめであると考えるのだが、それに関しては伊藤さんは違った視点から切腹に興味を抱いていることがわかる。森鴎外好きの伊藤さんは、切腹を鴎外世界の中でのその意味付けをきちんと分析して理解したいという批評家の意思を持っているのだ。生と死の痛みは血と切り離せない。血の流れが多いほど、そして毒々しく新鮮であればそれだけ、生と死の「苦痛」と「快楽」が味わえる。処刑の場には見物者が集まるのだ。これは古くて新しいゴシック想像力の中心にある「苦痛の快楽」、「罪と快楽」思考だ。女性は自分の血を見ることには慣れているから、罪も快楽も感じない。切腹は男性にだけ通用するいじめなのだ。武士としての名誉を保つということは武士としては逃げられない状況と大義名分を与えられてしまうことで、その結果がお家断絶や家族、親族、家之子郎党が露頭に迷うことには変わりがないとしても、それ
を受ける以外にない選択なのだ。しかも名誉のために究極の身体的痛みを自ら課さねばならないのだ。その恐怖を克服することで切腹による死に至る道は、拷問や踏み絵、脅迫と同じ性格のものであることには違いない。それは権力者の、そしてそれに依拠して自分の
権力を示そうとする権力願望者の、さらには生き残りを目指す臆病者の、常套手段であることは、世界史を見れば、20世紀史一つを取って見ても、明らかであるだろう。
心や精神の痛みは身体の痛みと明確に区別することはできない。それが恐怖をもたらし、自然な感情を抑圧し、他者への関心も思いやりも枯渇させ、人間性を破壊し、生きる意思を失わせることは、今、現代社会でも満溢している権力の姿とその被害者の姿ではないだろうか。
研究所活動報告:講演会
伊藤比呂美の人生相談
対談:水田宗子
(2017年9月)
2018/06/7
「世界女性学長会議」で中国の武漢を訪れた。武漢は揚子江の流れに沿って発展してきた歴史のある都市だが、大河に合流する3本の支流が街を3つの区域に分けている。都市を訪れるとまずそこを流れる川が都市をどのような形に作り上げているかに関心を持ってきたが、川幅の広い揚子江が街を分断することなどないだろうと考えていた。しかし、川には支流があること、その支流は地形形成に本流に負けない大きな力を発揮することを気付かされたのだった。武漢はその支流によって、T字型に官庁や観光の中心地、商業—工業地域、そして発展から取り残されている昔ながらの地域に分断されていた。
私たちを武漢の空港で迎えてくれたのは城西国際大学博士課程の卒業生で、北京科学大学教授の張麗さんと彼女の友人3人だった。彼らは20数年まえに新潟大学へ私費留学した時の友人たちであり、それ以来一度も会ったことがないのだという。国立大学への私費留学生は、国費留学生と比べて生活が著しく厳しく、彼らは日本料理屋での皿洗いのアルバイト仲間なのだった。20年ぶりだというのに彼らは昨日まで一緒にいたかのような仲良しぶりで、会わない間もずっと変わらぬ友情を温めていたことがわかる。
短い滞在の最後の夜を彼らが漁師町の中にある、地域の人たちの行くレストランに招待してくれた。武漢は湖の多い街でもあり、漁師町は学会会議場の迎賓館のある美しい湖畔の環境とはまた異なった、暗い中に水面に対岸の湖畔の光がきらめく民話の風景の中にいるような感じがした。ギョロ目の、鱗の大きな川魚を丸ごと油で揚げた料理をこわごわ味わい、その美味しさに感嘆した。友人たちはみな武漢大学で教えているが、以前は通訳の仕事をして、中国の政府や企業人を日本へ引率して行くことも多かったという。近年日本企業が少なくなり、日本語の履修者が年々減っていき、 通訳や翻訳の仕事も来なくなっている、日本へ行く機会も最近はないと残念がっている。日本語の巧みな彼らを前にして、悲しい気持ちになった。
私がよく訪れる大連や瀋陽など東北地方には日本語を話す人が多いのに比べて、武漢は戦争体験から反日感情も根深いものがあると言われているが、それでも日本企業の進出から日本語ブームの時代もあったという。改革開放後いち早く日本へ留学をした人たちがこれまで日中関係に大きな貢献をしてきたことは確かなのである。日本側も留学生受け入れの環境が万全ではなかった時代に、苦労をして日本語、日本文化を勉強した人たちが、今でも変わらない日本文化を愛する気持ちを持っていることにも感動を覚えて、卒業生を通してこの人たちに会えたことに、留学生を介しての強い絆を感じた。
他者との出会い、他者の文化の中で生きる経験が人の生きる形を形成することを、川の流れと重なり合って感慨深かかった。
国際メディア・女性文化研究所「ニュースレター」より
2018/06/7
2018/05/27
成都は今年四川大震災10周年で緊張感が感じられた。揚子江(長江)の3本の支流が都市を区域に分けて居るが、重慶ではそれらの支流はまた揚子江一本になる。支流といっても川幅の広い大河だが、水の流れが緩やかでのんびりとして穏やかな川である。支流は大抵どれも名前を覚えてもらえない目立たない川だが、中国の内陸都市では、その都市の性格を表す主役の役割を果たしている。
2018/05/26
成都の詩人たちと。北島以後三世代目でその詩集が英訳や仏訳されていることに驚いた。日本語訳があったらいいのにと思った。成都は北京から見れば地方都市だが、現代詩ではむしろろ中心地とのこと。詩の朗読にダンスの振り付けを見せてくれた。
2018/04/28
4月のはじめ訪れた武漢は水の都だった。揚子江の流れのほとりに広がる都市だから水は豊富だろうと思ったが、実は湖が多くあり、揚子江の支流が3本も街中を走っている。武漢というとごつい感じがするが、どこからも水の広がりが見える、優しい感じの街だった。
2018/04/13
アメリカで初めての黒人女性学長、アジア系女性で初めての学長杜アメリカがまだやっと頑張っている時でもあった。Wisconsin の学長は”unfinished agenda of women and women’s studies”をこれから若い世代が実施して行くとまとめて、嬉しいやら、この間何が変わったのだろうかと少々悲観的にもなりました。
2018/04/13
中国の武漢での大会8回世界女性学長会議から月曜日に帰った。創設したのが2001年で、今回世界女性学長会議終身栄誉奨を創設したときのメンバー12人がもらった。あの頃は世界がなんとか一つになろうとして女性学長は少数だったが皆熱心だった。城西でも2003年に担当した。もう皆70代の後半でお互い友情だけは強まった。
2018/04/13
「国際メディア・女性文化研究所」設立記念のシンポジューム教養と人文教育、21世紀が求める人材をテーマのシンポジュームがいよいよ明日になりました。日本女子大で午後一時からです。上野千鶴子、中沢けい、阿木津英、芦辺拓、巽孝之、荒木勝さんと論客ぞろいです。是非ご参加ください。
2018/03/30
今年は大学院生二人の論文を終わらせることができなかった。もう十分に出来上がっていた優れた論文だ。そこからどれだけ私の思考と想像力の幅が広がったことか。これからはこの二人の論文と伴走してくれる人が現れるのを待ち望んでいる。