2023/08/25
2021/09/30
Yale 大学のSterling LibraryにFilm Archive ができたと聞いて、1960年代初めの留学時代のことが懐かく蘇った。当時Yake Film Societyというのがあって、そこでの毎週末の映画上演で、私は初めて映画を「知った」と言っていいほどの映画開眼をしたのだった。チャプッリンやキートンをはじめとして、サイレント映画、戦争中のハリウッド映画、そして、日本映画もそこで見たのだ。1950年代の、戦後が終わったのか終わらないかわからない日本では、外国映画を見る機会は多くなく、『カサブランカ』や『風と共に去りぬ』、『外人部隊』などを母と一緒に見たくらいであったし、日本映画にしても、溝口健二の映画などもYaleで見たのが初めてだった。50年代は学生たちは歌声喫茶で歌っていた政治の時代だったのだから。厚い蓄積のあるYale 大学のFilm Archive の設立は遅すぎる感じもするが、これからは学生を始め一般の人たちが、これまであまり知られてこなかった作品やドキュメンタリー、歴史解釈の資料となる映像に触れる機会が大きく広がるだろうと期待している。
Yale Film Societyで見た映画の一つに五味川純平の『人間の条件』がある。たまたま最近、山崎豊子の『大地の子』が再放送されて、それを見ながら『人間の条件』のことを思い出していたのだった。大河ドラマ的な扱いが似ていて、改めて、『人間の条件』も『大地の子』も、今若者たちに忘れられた映画であることを考えた。日本と中国の関係も大きく変わってしまったこともあるのだろうが。
三一書房出版の『人間の条件』は大ベストセラー小説で、仲代達矢、新珠三千代主演の映画は、植民地化される満州での住民、開拓団として移住した人たち、そして日本軍と政府の政策や行為に立ち向かう一人の個人の長い物語で、歴史に巻き込まれる個人の、権力との闘争を描く。『大地の子』も過酷な運命に翻弄され尽くしながら、最後まで恩義を忘れず、自分の考える正義に基づいて人間としての心と倫理を守り抜く、一人の残留孤児の物語で、両者とも、熾烈な権力の不正義と欺瞞、暴力の歴史を生き残るための厳しい人生を描く点で共通している。
どちらもドキュメンタリー映画ではなく物語映画である点が、私には今回大変興味深い点でもあった。価値観や正義を普遍化するパラダイムが壊れ、変容し、個人は個人のままにそれぞれがむき出しになり、国家は国家のままに、その利益をあからさまに追求の権力を強めていく、今日の法が正義を意味しない国家と個人の関係から見れば、個人の窮地を救うのが、いつも権力の中の「正しい人」や「優しい人」である物語は、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のような物語とあまり変わらないように思えるのは当然のことのように思える。法は国家が変えればいいだけのものになり、他国や他民族の法、そして他者の正義は単に無視すればいいのだと。
ドキュメンタリーもまた、個人の思想と感性のバイアスを大きく受けているジャンルであることは、作者も観客も知っている。その表現者、記録者としての個人の視点こそがドキュメンタリーを成り立たせているのであり、それを見ることが要求されているからである。ドキュメンタリーは、権力の側が主張し、人々にそのように理解させたい現実とその解釈に対する、個人の反抗であるからこそ、ドキュメンタリーが意義を持つことを知っているからだ。しかし、その一方で、歴史の中の出来事やその「真実」、が個人的な表現に委ねられることが課題でもあるのだ。
ハーヴァード大学の美術館が今「Devour the Land」(土地の略奪:戦争とアメリカ風景写真、1970年以後)という写真展を開催している。またHarvard Film Archiveは10月から同じDevour the Landテーマのもとで、フィルム・プログラム「映画、風景、歴史」をシリーズで開催するという。戦争、政治、社会・文化によるアメリカという祖国の大地略奪の歴史を写真と映像で見せる衝撃的なプログラムだと思う。インディアンからの土地の略奪、原爆実験による大地の汚染、空気汚染、山火事、洪水などの大地の異変と汚染が、滝国をだけではなく、祖国の大地を破壊する人為的、文明の略奪であることを知ることが、目指されているのだ。
ドキュメンタリー映画だけではなく、一枚の写真が大地略奪の真相を見せていることも、この展覧会の意味深い点でもあるだろう。昨今では、個人はほとんど誰でも簡単に写真を撮るし、その機会が爆発に増えている。写真はまた、即座に他者に送流ことができる。個人が歴史の資料を集めることに、携帯による写真は大きく貢献しているだろう。
しかしその反面、最近の技術で、写真はいくらでも修正や合成などの編集ができるので、フェイク情報になりやすい。個人的な意図や感情が事実を曲げたり、写真に意図的に誤ったり、偏ったりする解釈を持たせることも可能である。個人の撮った写真への不信感を、昨今では持っていない人はいないと言っても過言ではないくらいだ。映像や写真の技術が発展し、そのアクセスが、限りなく多数の個人に行き渡っていく現在、歴史的資料も、ドキュエンタリーも、写真も、そのインパクトの大きさに比例して、歴史的事実ばかりか真実や真相への距離を広げている。
NHKの「映像の世紀」というプログラムは、個人がカメラへのアクセスを容易に持たず、ましてや小型カメラやスマホ以前の映像が多いことで、なぜか信頼性があると思ってしまう。フェイクの時代、疑いの時代は、言い換えれば、信じるものの確実性、明白性が欠如している時代ということだろう。そのためにフェイクが本当にフェイクであるのかも疑いの対象になっている。
政治権力と利益優先文化によって「我が祖国の大地」が略奪されても、やったほうが勝ちの時代であるのだ。産業廃棄物の他人の土地への遺棄や野生動物の殺戮などは、夜間にコソコソと行う行為であるから、権力による大ぴらで、あからさまな、法や組織を思うままに従わせた略奪に比べると、どこかまだ可愛げを残しているようにさえ感じられてくる。捕まえることができるだけまだいいし、当人が悪いことをしていると自覚しているだけ、ましなのである。
写真や映像が歴史的資料としての信頼性を持っていた時代は、もう過ぎ去ったのだろうか。W.ベンヤミンのいう「複製時代」の課題は、技術の進展だけをとっても、現在は当時の想像をはるかに超えているが、「複製時代」の到来が、今日のフェイク文化の不気味な予兆だったと痛感する。
映像の作成も個人がたやすく手がけることができるYouTube時代に、言葉よりは目と耳を、紙よりはスクリーンを、エンピツ、消しゴムや糊よりはマウスを信じ、頼りにする時代に、映像も、写真も全ては個人的な表現となり、事実ではなくなり、真実の在所はますます見えなくなる。真実の発掘に、脳や心を含む身体の感触や触手に頼れなくなくなっているのだ。人間の感覚よりコンピュータの方が真実に近いと。
ここ掘れワンワンと、庭を掘ってみたら、核廃棄物と、発光したヴィデオと、ハッカー済みのフロッピーが、ザクザク出てきたという昔話を未来の子供達が聞くことがないように、大人も若者も、一つでもできることを、今することが大切だと思う。。
2021/03/9
昨年秋に詩集『音波』と評論集『詩の魅力/詩の領域』を一対の本として出版した。長年信頼してきた編集者が同じアーティストの作品二作を表紙にして、二冊を同時に読者に届けることを考えたのだ。スエーデンのアーティスト、エヴァ・ヴァリエさんは韓国や日本の古紙を使って彫刻するが、文字が書かれていたり、タンスの内装に使われてきたりした、使用済みの古紙を細かい糸にして、素材としている。色彩は白と黒が基本だが、紙の質によって、実に多くのヴァリエーションが出てきて、どれもが同じ色でも手触りでもない。そのシンプルで、しかし奥行きの深い味わいは、日本文化の真髄を表しているようにも感じられるし、それが、日本を超えてアジアの真髄を見直すことへも導いて行って、ただの古紙を、素材としても、また、それによって成り立つ作品をも、広いコンテキストの中に位置付けていると感じる。同時に、シンプルに徹する色と形が、アジアだけではない現代文化の前衛的表象のようにも感じられる。
北極圏にも近く、厳しい自然の中で生きるスエーデンの人々の現代感覚は、どこか重厚な歴史の積み重ねの上にあるヨーロッパ文化とは離れた、野性的感性と宇宙的な視野の中に、現在という時間と人間存在を置く作品を作り出しているように思う。今回の詩集と評論集へコメントも書評も、決まって表紙について褒めていて、中身の方へ行くまでに頼まれた文字数の限界にきてしまったのか、あるいは内容は見ていないのではないかと、ひがみたくなるほどである。
編集者も著者も、本が出る最終段階になると、表紙の話になってくる。帯の文章はたいていの場合編集者に任せられているが、表紙は著者も意見を聞かれて、著者も重要視することが多いだろう。私自身はこれまで、表紙は編集者に任せてきたが、その方が意外性に満ちていて、あらゆる面で楽しみだからである。振り返ってみると、あまり特別な感じが湧かなかった表紙もあるが、それが気にかかったことはなかった。改めて色々な作家の作品の表紙を見ていくと、評論家はそれほどでもないが、作家は表紙に凝っている感じが見えてくる。表紙は作品の一部であったり、補完物であったりするだけでなく、明らかに一つの作品として扱われていることがわかる。
作家は同じ創作者として、表紙のデザイナーに大きな敬意を払い、作品としての重要性を認めているばかりではなく、自分の作品が新たなもう一つの作品へと高められていくことを知っているし、期待しているからであることがわかる。このことはデザインの重要性が明瞭な現在では当たり前であるかもしれないが、しかし、肝心なことは、表紙のおかげで、内容が新たな創作作品に、作品という物体に生まれ変わるからだ。
それでも表紙はなくなることがあり、図書館に入れば、表紙は取り除かれてしまうことも多い。古本屋でも表紙がない本は多い。表紙がない本は、どこか芸術品としての価値に欠けて、そっけないただの実用品のような、使い捨ててもいいようなものの感じさえしてくる。昔本が少なく、本に飢えていた時代には、文房学生たちは、一冊の本を読み終えると、それを売って新たな本を買っていた。彼ら(そして私)にとっては、本は内容で勝負、知識を内包する頭脳の代名詞であり、その物体性など、顧みることも、考えることもなかったのではないだろうか。
と言って、表紙が内容を象徴すると考えられることが少々困る場合がある。デザイナーの理解が違っていたり、著者の個性や趣味と合わなかったりしても、デザインとしては素晴らしいことも多いのだ。私の第一詩集『春の終わりに』は箱付きで、箱と表紙のデザインを画家の義兄に依頼した。できてくると、それは真っ青なだけの地で、そこに大変大きな字でタイトルが書かれているだけだった。少々がっかりして、しかもその超大きなタイトルに恥ずかしくなって、字を小さくしてほしいと頼んだ。しかし、もう40年以上前の詩集を見るたびに、大きなタイトルの字が蘇ってくる。そして、大きなママにすればよかったという思いが、心をかすめるのだ。亡くなった義兄のセンスに驚くというか、それを知らなかった自分は彼の作品をよくわからなかったのかもしれないという思いも、ふとしたりする。
作品は書き終わった時に、作家の手を離れるが、本になった途端に物としての新たな存在性を獲得する。原稿の段階ではまだ作者の手元にあり、捨てたり、書き換えることができるが、本になると現実的に著者の手を離れて、一つの物体になるのだ。
ハート・クレインは作品を白い彫刻といったが、本当に文字の詰まった、そして何よりも著者の心、思考、想像力や、感情などが詰まっているはずの中身は、その生々しさを削られた、冷たい動かぬ物体、どこにでもゴロンと投げ出されたままになる「もの」として、存在する。
最近はデジタルで本を読むことができるが、本は手に持ちたいという欲望に近い気持ちは、本が内容だけで存在するのではなく、物体として存在するからなのだ。言葉に食傷し、言葉の内容を信用しなくなる一方の現在では、本はその物体性の重みで、読者の心への道を開き示しているように思える。デジタル文化が進んでいく将来には、それは本の記憶、深層心理に埋められた感触となってしまうかもしれない。
2021.2.5
2021/02/3
2020年、コロナ第一派流行の下、外出禁止―自粛、人との接触の制限、そして海外への人々の渡航が制限されるようになると、これまで論議されていた過剰なグローバリゼーションへの批判が、一気に噴き出した。21世紀に入って、一国主義と独裁的強権主義の台頭が顕在化し、世界を分断していく現象の中でのグローバリゼーション批判という側面があった。
しかし、グローバリゼーションのマイナス面と人の移動とは関係がない。通信・交通テクノロジーの進展以前は、人が移動することを通して、物、カネ、情報が移動し、伝搬した。人の移動が主たる伝搬手段だったのである。ところが、
通信、交通テクノロジーの急速な進展は物、カネ、情報の移動を、実際の人間の移動に頼らなくなくさせたのである。人の移動よりはるかに迅速に、そして大量に、広範囲へ、物、カネ、情報は移動するようになった。人間の身体的な移動は運び屋の役目を放免となった。それは経済や文化を含む文明の変容を目に見える形で進展していることを表しているが、その変容はむしろ、人の身体的移動が追いつかなくなったことからくる変容といってもいいだろう。
実際人は「ステイホーム」と、自分の国だけではなく、自分だけの個人的な場所に閉じめられたが、だからと言って、仕事も、経済も、文化も、それで全部が止まったわけではなかった。むしろ通信テクノロジーのさらなる進展が推奨され、求められ、人の移動に頼らない経済活動の仕組みがポストコロナ、あるいはウイズコロナ下でのイノヴェーションとして推進されていて、IT関係企業は業績を大幅に上げている。
人の移動に頼る領域だけが、経済活動を圧迫している。観光、飲食、娯楽、芸能など文化領域で、そこでは人が主役だからだ。これらの領域は海外からの移動も含めて、人が移動しなくなったことで、経済活動が停滞したのだ。
しかし、実際にウイルスを運ぶのは人だけではなくモノである。人によるウイルスの伝搬は可視的だが、モノを介しての伝搬は間接的で、人の目に触れたり、意識にのぼったりすることが少ない。デリヴァリーの袋や食べ物、缶詰や瓶詰めの容器、郵便物など、全てがウイルス伝搬者である。経済の生産と消費、流通の全てに関わるモノこそが、ウイルス流行の主役であるのだが、それは人の影武者、シテに対すワキのように重要な役割を果たしているのだ。
人の労働力や消費力はコロナ時代の資本主義社会の課題であるが、そこでも知力や感性が不必要になったわけではない。それらが重要だからこそ、を人との直接的接触、人の移動に頼らないで調達する方法を開発しようとするのだ。エッセンシャルワークは人の労力を必要とするが、それはやがて、全てではないが、ロボットが担って行くだろう。AIは人間の知力のレベルまでやすやすと到達するに違いない。教育分野でも、そして、音楽、映画絵画、という芸術領域も、すでにテクノロジーへの依存度は増大している。
人間の身体的移動だけが何者かに取って代わられることのできないものなのだ。そして、人が運び屋としては用無しになっても、確実に人でなければ運べないのが、ウイルスである。人がいなくなればウイルス流行もなくなる。人とコロナは一心同体なのだ。この間命に関しても本音とも思われる「命の格差」を主張する意見を随分聞いた。高齢者の命より若者の命の方が大切であるとか、経済的格差がすなわち命の格差であって当然のような考え方、そして、ある程度ウイルス患者が死ねば、流行が収まると、患者の無治療を是認する意見。そして病気にかかるのも、重症化するのも自己責任である、と高齢者やエッセンシャルワーカー、貧困地帯に住む人々、後進国の人々への差別を正当化する意見、などなど。
ポストコロナ・ウイズコロナは人に頼らない経済活動のあり方、システムを開発しようということなのだ。2020年世界を覆った一国主義と権力集中による独裁的政治の現象は、一見経済のグローバル化を制限することを目的としているかに見えるが、実際にはそうではなく、自国の利益を他国の利益によって剥奪されないための競争原理に基づいている。国内の貧困格差はともかく、国外の格差にも、人権にも、関わらない、というのが、一国主義である。それは経済的格差をなくすのではなく、むしろ増長することによる利益獲得を目的としている。
移動を制限されて最も大きな被害を受けるのは人である。
人々の日常生活は、衣食住、教育に至るまで、意識しない細部まで、 グローバル経済に依存しているのだ。経済のグローバル化にとって、人々の身体的移動は、必要不可欠ではなくなったと言われても、人々は自分自身の生存のために身体的移動を必要としているし、必要とする文明を作ってきたのだからだ。
人はウイルス流行現象において主役なのである。先進国だけではなくどの地域でも、また社会的階層、貧富の差に関係なく、人が他者と接触できない、という生活現象は、最も大きな日常生活上の変化をもたらし、精神的な衝撃、打撃を与えた。それは文化の創造と享受においてであり、その分野は人が主役だからだ。先進国、中でも都会では、仕事をするために交通機関を使い、外食をし、家の外に娯楽を求め、学校に子供を送り出す、という日常生活は、変わらない生活のパターンを作り上げてきたから、家族関係、仕事での関係、老後や病気治療、人生計画のあらゆる面をそこに依存し、高度のサービスが、生活と社会生活の質を決める。教育、芸術、観光、飲食、娯楽、などはすべて人が移動し、接触して、直接的に交換し合うサービスで成り立っている。
サービスが行き届けば行き届くほど、ウイルスは伝搬する。必要なサービスはロボットにさせ、どうしても人の手が必要なエッセンシャル・ワークは、3Kになっていく。もっとも緊密な直接的サービスを前提とする家族関係もまた、ウイルス伝搬の最大の危険区域で、家庭内という場はもはやプライベートな場でも領域でもなく、どこにも行き先のない感染者を、個室に隔離する準公共の場となっている。人とウイルスというよりは、個人とウイルスは一心同体なのだ。
直接的に人が動くことが必要なのは、サービス業に加えて、あるいはそれよりもはるかに深刻に、人の感性、想像力、感情、表現の領域だろう。消費者としての文化受容はスクリーンを通しても可能だろうが、文化の中でも、芸術表現(文学も含めて)は作家という個人の現実との関わりによって触発される。その現実とは過去や記憶を喚起する場所や物、他者との接触によって成り立っている。時間や空間を超えた歴史と個人の記憶の領域を蘇えさせのは、作家の個人の内面との関わりだからだ。
文化は受容する人がいなければ成り立たないが、文化は単なる解毒剤でも、レクリエーションでもなく、個人の表現を原点としている。歴史と個人の深層に、深く溜め込まれた記憶を蘇らせる源泉は現実との関わりによって掘り起こされ、それは未経験、未踏領域、異領域への個人的旅なのであり、その旅は実際の身体的移動によって触発される感性の、そして精神の旅なのである。文化産業によるテクノロジーだけでは、ゲームも含めて、その旅の代替物にはなれない。
人は人生相談で生き方を学ぶわけにはいかない。生き抜いた他者の考えや意見はその場しのぎには役に立つだろうが、生き方は長い時間と経験、思考によって鍛えられた精神なのだから。
ポストコロナ、ウイズコロナ政策はAIがどこまで人の内面へ入り込むかの境界を示すことだろう。脳への侵入は、すでにそれが脳の拡大か侵犯かの境界領域を示しているように思える。人の役割が少なくなるのではなく、人の感性、想像力、思考、表現の重要性が、つまり、人の精神が最も「役に立つ」社会と文化の創生が、環境と生命の生き残りに立ち向かうウイズコロナ文明にとって、最も必要不可欠なことであると思う。
20世紀は恐ろしい世紀でもあったが、人が異国へ、見知らぬ土地へ移動できたことが文化にとって最大の収穫だったと思う。鎖国から脱した日本の作家たちのヨーロッパ、アメリカ、中国、ロシア他への旅が、近代文学を形成する一つの核となっていることを考えても、その足跡を改めて考える時期に来ているように思う。文化は病気もウイルスも内包しているのだ。
2020/12/18
新井高子さんが秋の終わり、冬を迎えるお仕事の「冬漬け」で花梨の蜂蜜漬けをすると聞いて、様々な思い出が蘇った。私が小さな庭に大きな木になる花梨を植えたのは、城西国際大学の大学院生たちが、自分たちのジャーナルを作るので、序文を書くようにと言われて、その題名が『かりん かりん』だったからだ。その意味を聞くと、果実の花梨で、中国の人はそれを蜂蜜漬けにするという。
庭に植えるとすくすくと大きくなり、やがてこれも大きな実をたくさんつけるようになった。花梨は大変硬い実で、庭に立ったり草むしりしていたりすると、上から落ちて来て肩や頭に当たったことが何度かある。石が落ちて来たみたいに痛くて、実に攻撃的な果実であると思った。落ちるときは堂々としている。土に落ちてからも、そう簡単には腐らない。気が付いた時に拾っても、皮はつやつやと滑らかで、一秋中ほっておいても見た目は少しも変容しないのだ。虫も食わない、鳥も啄ばない、味も悪いから大量生産や消費にも向かない、と自然の循環にも、商品流通にも、目立って貢献しない頑な果実、我が道をいく単独者で、自分一人輝いている、人のためにお役に立ちたい、などと存在理由を弁明したりしないのだ。
そう思うと、蜂蜜漬けにする他には使い道が思い当たらないこの花梨を、なんともすごい果実だと思うようになった。そして蜂蜜漬けにするのがやめられなくなった。
ヴィクトル・エリセの『マルメロの陽光』は、花梨の木と実をずっと写し続ける。花梨を描く画家が、季節が移り変わる時間の流れの中で、実が熟してしまい、絵を描き終わることができない。それでも毎年描き続けるという、少々見るのがきついところのある映画だが、それでも、もう何度も見続けている。花梨の実は強情だが、時間には逆らわない。描けないままにそれを繰り返す画家とその画業について、時間との関係について、見るたびに心を痛めながら、その、細々とした準備の一つ一つの映像から、毎日夕方までキャンパスの前に座り、次の日また花梨の木と果実と向かい合い描き始める、その日常的な繰り返しの時間の流れ、そして結局は、果実は自分の時間を過ごし終えて、人には構わず変容し、熟し、朽ちていくという自然の大きな時間の流れの中に、植物も人間も、そして、表現したいという芸術家の心も行為も、飲み込まれている、というその作品に、引き込まれて、とりつかれるように何度も見てきた。
映画の中の退屈な毎日の時間の繰り返しと、結局は無償に終わる描くという行為に、緊張して付き合い、思考も感性も刺激されるという作品は他にないような気がする。映画は画家の夢で終わるが、私も映画を観た後はいつも夢を見ているような気がして、後になっても花梨の際立った黄色、そこに陽光が当たると輝く滑らかな果皮がくっきりと蘇ってくる。
中国の人たちは実に多くの果実からお酒や蜜漬けを作る。乾燥果物も、種も食べる。
日本では梅干しや梅酒、生姜の蜜漬け、干し柿などは一般的だが、そのほかは毎年手がける人は周りでは少なくなった。中国の農村が今でも広域に存在するのに比べて、日本では農村がますます縮小していっていることも関係があるのだと思う。私は東金と鴨川キャンパスにヤマモモの木が多くあることから、ヤマモモ漬けをし、千葉県のどこの家でも大抵は木がある夏みかんを色々工夫して食生活に取り入れてきたが、花梨の蜂蜜漬けが一番長く続いている。食べるぞとこちらも意地になっているのだ。
2020/12/16
『木島始論』(土曜美術社2020.11)を著者の神品芳夫さんからご恵贈いただいて、改めて木島さんの幅広い詩業に感動を覚えた。木島さんは四行連詩という新しい連詩の形態を外国の詩人たちとのやりとりの中で考えられた詩人で、その形に魅せられた多くの詩人が以来連詩をかわしてきた。私たちも、外国の詩人たち、そして、それまでは詩人とは自称してこなかったが、詩魂を心に持って批評、研究をしてきた人たちとの繋がりを、四行連詩を通して新たに作ってきた。それらは『カリヨン通り』(同人雑誌)に掲載され、また、選集が二冊出版されている。
木島始をはじめて知ったのは、1950年代、私がまだ大学に入ったばかりの頃に、アメリカ黒人詩人のラングストン・ヒューズの詩の日本語訳者としての木島さんだった。当時は黒人といえば、日本人の間では何と言ってもジャズを通してであり、米軍基地には黒人兵たちが多くいたが、直接に彼らに触れていた作家や詩人は、白石かずこさんを除けはほとんどなかったと思う。木島さんのアメリカ黒人への興味は、神品さんによると、まずはフォークナー、そしてその水脈を辿れば、ヒューズ、トウマーにたどり着く。そして、そこに至る根底には、原爆を受けた日本の屈辱と悲しみの経験が、色濃く個人として、詩人としての内面風景を形成していたことを神品さんは指摘している。木島さんの詩業は、同じ貶められたものとしてのアメリカ黒人の心を共有することが原点でもあったのだ。木島さんには原爆の詩があることをこの本で初めて知った。その詩は原爆を落とした側で編集された原爆文学には収められることはなかった。落とされた側の作品は『黒い雨』など代表作も入れられていない、という。
木島さんは自身アメリカに行き、黒人文学の軌跡を詩人の目でずっと辿ってきた稀有の詩人である。私が1961年アメリカへ留学して最初に訪問したのは、木島さんの訳した黒人文学の原本を読むためのハーワード大学の図書館だった。私はのちにフォークナーではなく、ポオに論文テーマを変えたが、私の現代アメリカ文学への入り口は何と言ってもフォークナーだった。アメリカ文学出身の詩人は、ほとんど誰もが、「失われた世代」、ビート詩人を通過しただけではなく、そこに感性の基盤を打ち立ててきているだろう。詩劇、オペラ、動物寓話、子供向けの作品、四行連詩、英語、日本語のアンソロジー編集と、多岐の分野にわたる評論、訳詩の幅広い生涯の文学表現活動の原点に、このヒロシマと黒人を結ぶ、心の、そして感情的経験の繋がりがあることがわかる。それを「生き物の根源的感覚の追求と社会的な問題の考究」と、神品さんはいう。戦争が染み通っている木島始の詩には、「生まれてきて損した」という孤独と絶望感も見える。
木島始は「銃後で戦争を体験した」世代を代表する詩人で、その世代には大岡信、谷川俊太郎、飯島耕一、吉岡実、岩田宏、開高健などがいて、「荒地」、「列島」、「櫂」などの戦後詩の代表的な詩誌を形成してきた詩人たちである。黒田喜夫、石原など、孤独と差別と虐待の実体験の苦しみと反逆精神を表現の根底に持つ詩人たちへの敬愛も深かったことは、アンソロジーでの詩人の選択からもわかる。
この論集は木島始の多くの詩集について詳しい考察をしているが、木島が晩年に力を集中的に注いだ四行連詩について詳しく論じていることもこの著書が新たな木島始論となっている理由でもある。
木島は四行連詩に至る前にすでに絵画や音楽とのコレボレーションを通して、いわゆるジャンルの越境や交差を試みているが、外国語で書く詩人たちと詩をかわし、心の交流を図ることと、古典連詩には明らかではない詩人個人の心の中に潜む「孤独」と「宴」、つまり、皆で一編の巻を作るという「つながり」を現代戦後連詩に託し、それを「新たなジャンル」と明瞭に宣言しているのである。
現代の連詩の試みは、木島始の四行連詩の前にすでに大岡信らによってなされているが、神品氏は、木島の「新ジャンル」としての四行連詩がそれとは異なっていることを説得力をもって論じている。日本古典や先人の俳句などとの繋がりは、木島によって新たな意味を持ってきている。戦後の日本の詩歌は短歌、俳句、そして現代詩と「平和的共存」の上に成り立ってきたが、木島の四行連詩は、伝統的な連詩の形態(ルールも含め)から離れたこと、短詩の領域を定型詩から広げたこと、そして、先人の作品を四行に書き換える、読み直す、ことで、新しい古典及び夏目漱石など先人の作品との関係を作る試みをしたこと、そして、外国語、外国人という、互いに共有する感性と異なる想像力、言語での表現をつなぎ、一つの作品世界を形成すること、などを原則として、「新しいジャンル」としての四行連詩の枠組を打ち立てている。
外国詩人たちとの四行連詩による交流は、9.11の惨事まで続く。原爆から始まり、テロの惨事による首都の破壊へと、20世紀の戦争、テロ、虐殺、環境破壊による崩壊の文明が一サイクルを経ている。この時木島はすでに病の床に臥っていてあり、病院から連詩を送っていたという。私が木島さんから届いた四行詩も病床からだったのだ。
『カリヨン通り』で四行連詩が始まったのは、木島さんとともに連詩を繋ぎ、編集にも関わってきた佐川亜紀さんと私が連詩を交わしてからだった。佐川さんは木島始の四行連詩の枠組みを自らの詩業ですでに実践してきた詩人だった。孤独と外国の詩人たちへの深い共感と、文明批判、詩人としての鋭い感性と批判精神を詩表現に託してきた詩人だ。四行連詩を教えてもらうには最もふさわしい詩人だった。
昨今は木島始の評価が高まっているが、木島詩の持つリリシズムの根底にある孤独、そしてユーモアと洒脱な言葉による「明るさ」を分析する神品芳雄氏の評論集は、戦後詩における木島始の詩業のユニークさを明確に論じていると思う。
2020/09/9
海外でも大人気の断捨離行為は、ものを所有することで人間の権力や権威、人生の優劣を作ってきた社会構造、もので豊かさを保とうとする文化と文明への批判として大いに共感するところがある。個人の生活でも、ものがあふれる時代に、家族の中に閉じ込められる自我意識の発散や、仕事の上での不満などをショッピングで晴らす女性たち、こどもの成長にしっかりと向かい合わないで、ものだけを与える親や、自分だけがこだわるモノを集めることが趣味の、大人に成長しない父親、たくさんのおもちゃに慣れて大切にしない上に、片付けることを知らない子供、と核家族は内面の不満を溜め込む場と化して、物でいっぱいになった混雑する家は、家族の人たちの心と脳髄の混乱状態の現れである、という見方にもうなずけるところが多い。ものを買うことよりも、片付けることができないのが問題でもある。
コロナ感染症の蔓延のために、家に閉じこもらなくてはならなくなると、都会の限られたアパートのスペースに封じ込められることは大変苦しく、心にも脳にも悪い。広い家とプールのある庭を持つ富裕層との決定的と言える格差が、いやでも目の前の風景として顕現化される。物とスペースの関係は、心や脳の内部の問題ではなく、経済階層の問題、格差の課題であることがむき出しにされる。
昔ならば、たとえ蔵がなくても、家の内外に物をしまうスペースさえあれば、溜め込んでも、しまいこんでも一向に構わないのだ。しかし、都会暮らしはそおいうわけにはいかない。もうだいぶ昔になるが、出版社は売れ残った書物を断裁すると聞いて驚いたことがあった。倉庫や事務所のスペース、本棚など、すべてのスペースは土地の値段と比例して高騰し、在庫はまず整理しなければならないのだという。それなら、コロナ患者だって、ICUや人工呼吸器が少なくなり、その値段が高くて、人件費もかかるとなれば、命を断裁するしかない、ということになる。事実、外国ではそれが公然と行なわれたし、ナチスによるユダヤ人絶滅政策や優生思想による命の選択などは、実際に二十世紀に行われたことで、他人事では済まされないのである。
歴史や文化研究者は、いつも埋もれた資料を漁っている。そして、それらは驚くほど最近になって発見されたものが多いのだ。誰かが溜め込んでいてくれなければ、それらはどこかのゴミ処理場で焼かれてしまっていただろう。一生をかけて発掘に取り組む考古学者にとっては、地下に埋もれたものは宝物なのだ。
私はアメリカの砂漠の入り口の街リヴァーサイドで、奇しくもサダキチ・ハートマンのアーカイヴを作る作業に取り組んでいた学者に出会った。ハートマンは、リヴァーサイドの近くの砂漠にある、インディアン居住地の、小さな小屋の中のつづらに、彼の作品の原稿をしまってあったのだ。日本からアメリァ東部のニューヘイブンへ、そして地の果てのようなカリフォルニアのリヴァーサイドへとやってきて、そしてそのさらに奥地の砂漠の真ん中に、サダキチの作品が一世紀に渡り眠っていたのである。それは何か運命的な出会いだと感じたのであった。サダキチの原稿の価値を知らないの原住民の妻が、夫の残したものを大切にして死ぬまでそのままにとっておいたのだ。
それに反して、アメリカで知り合った友人の一人は、教会の牧師で作家の娘だったが、父親は牧師としての貧しい生活の時間のすべての余暇を、小説を書くことに集中したという。彼はなんども文学賞の候補になったが、結局は賞を得て作家デヴューをすることなく、小説を出版することもないままに亡くなった。葬式が済むと直ちに残された妻と子供達は父親が残した膨大な原稿を焼き捨てたというのである。私はその話を本人から聞いて、愕然とした。私なら、遺稿集を出版して供養とするのにと思ったからである。書き続ける父の執念と、認められない無念をなんとか晴らしたいと思うのではないかと。しかし、友人はそれでスッキリしたというのだ。どれほど家族は貧しさと父親の自分中心的な生き方の犠牲になったか、家の中から原稿が消え、空のスペースができて、野辺の送りが完成したというのだ。
その遺族の気持ちも身にこたえた。近年は「終活」という死に支度が推奨されるのも、また、亡くなった人の家や持ち物の片すけをする処理業も盛況だと聞く。他者の残した持ち物は迷惑だし、ごみなのだ。たとえ親でも親族でも、生前に整理や始末をしてくれていればよかったのに、と思うのは当然なのかもしれない。では誰が残されたものを整理し、処理するのだろうか。
世の中には自分が生きた記録も持ち物も残さない人がいる。むしろ歴史はそれらの人たちで作られてもきたのである。歴史的な資料はほんの一握りしか残っていないのだ。そしてどれが大切な意味を後世にもたらす資料か、ということは本人はもちろん、同世代の研究者にもわからないことが多い。そうなると、自分で生きた証と言って人生の資料を編纂し、残しても、それこそあまり期待できるアーカイヴにはならないのではないかと、皮肉を言いたくもなるのである。生前に処理し、遺言も書いておいてくれれば、それは遺族孝行というものなのだが。整理するにも、始末するにも、捨てるにもお金と時間がかかるのだから。
断捨離ブームにtwo cheersしか,つまり全面賛成でないのは、まず第一に、生きることは人の手を煩わせ、人生の処理や評価を残されたものに任せるものだと思うからである。残された者が焼こうと捨てようと、それはその者たちの仕事であり、問題である。歴史上人間はそうしてきたではないのか。
第二に、記録や持ち物を残すこともなく死んでいった人々、殺された人々、書き残す言葉を持たなかった人々こそが、真の歴史を形成する人たちだったのではないかと、強く思うからだ。そして、文学や芸術、創作活動は、その人たちの生の実存や内面に近付こうとして、その過程で人間と文化、文明を知るインスピレーションや想像力を得てきたのである。歴史を明るみに出す資料は、資料として整理され、保管されてきたものより、どこかで眠っていたままのものの方が、そしてナノしれない個人の記録が、もっと真実を語っているのではないだろうか、と考えるからである。私たちは二十世紀を通して、それを学んできたはずなのだし、私たちの心を打つものは、権力と金で守られ、収集されてきた資料に基づく、時には捏造された記録や資料ではなく、沈黙し、語られないままに歴史の闇に埋葬された人間の実存の相なのだからだ。
そして第三に、確かに年をとると整理能力が衰えてくる。整理は脳と意思と体力とが揃わなければできないのだ。しかし、住宅売り場のショールームのように、余分なものが置かれていない、家具だけのスペースには人の生活の跡がないし、そこに住めば、ますます老化が進むのではないかと思う。都会に住む子供が、田舎に住む年取った親を呼び寄せると、大抵親は不幸になり、老衰が進むと言われている。老人の楽しみは、これまで生きてきた名残の品々に囲まれて、何もしないでいることなのだ。そしてそれは老人だけではなく、すべての世代の人々に共通する自分の人生の記録に囲まれる幸せなのだ。
しかし、物に価値を置く人の中には、骨董品市場に目がない人が多いではないか。昔の漁師たちが使ったカゴなど、どこかでその美しさや価値を立派に語られているのを読んだことがある。考古学者が、偽物を埋めた事件だってあった。先祖が蔵に何か残しておいてくれたらいいのにと思う俗物たちもいるのである。
第四に、そしてこれが最も言いたいことなのだが、家の中の整理整頓と、頭や心の整理整頓の関係である。断捨離を薦める人は、家の中に物が整理することなく詰め込まれたままでいるには、心と頭がごちゃ混ぜに混乱した状態の象徴なのだという。
また多くの学者が知的生産に関して、気がついたことをノートにとり、それを整理して、論文を書く資料にすると言っている。余分なことを無秩序に頭に詰め込んだままにすると、結局は何も頭の中にないのと同じことになるという。シャーロックホームズは、脳の記憶キャパシティには容量の限界があり(何ギガバイトかは言っていないが)、余計なものでそれを使い切ると、肝心なものが入る余地がなくなる、と言っている。だから、棄てる、忘れる、ということが必要なのだという主張につながるのであり、記録すれば、忘れるのだともいう。
この理屈は、確かに知的生産者にとっては、論文を書くことが目的で生きている場合には、最もだろうから、どうぞそうしてくださいというほかない。しかし、記憶が想像力の源となる芸術や文学創作にとっては、記憶とはいつかフッと意識の流れに乗って、蘇ってくるのであり、メモや整理された記録なのでではない。写真を元にして描く画家もいるが、その根源にあるのは、心の中の記憶の風景であり、それはふと蘇るものなのだ。啓示、運命的な昔の記憶の再生などは皆、心や意識の働きで、それは記憶のどこかに未整理のままにしまわれていたからこそ、蘇りが衝撃的なのである。
古いものが残っているのは嬉しい。不要だと今感じるものでも、後で大切なものだとわかることが多くある。それは自分の今のためではなく、後世の人々がすることなのだ。憎んでいた父親の日記でも、他人にとってはゴミ同然の誰かへの手紙でも、庶民の感情や行動は、宝物なのかもしれないのだ。掘り出し物には、目に見えないものも多いのだ。廃墟でも、人骨や動物の骨のかけらでも、そこに価値を認め、想像力を駆り立てられるのは、残された人々の意識でもあり、夢でもあるのだ。
古いものを年の終わりに焼きすてることも、古いものを探し出すことも、どちらもいのちの再生のために不可欠なのだ。生きることへの意欲、想像力と考える力をそこから人類は得てきたのだはないだろうか。本当の子孫孝行はガラクタも残すことではないだろうか。
大庭みな子の『ガラクタ博物館』という小説は、誰も見向きもしなかった、アラスカという地球の僻地へ流れてきた人々の日常生活で使った細々とした道具や玩具やモノを集めた博物館のことを描いた短編である。ガラクタという言葉に込めらた深い意味を改めて考えさせられる作品である。
2020/08/17
コロナ感染症による外出禁止・自粛で最も大きな影響を受けたのは、経済、医療・教育などとともに家族なのではないだろうか。それだけに家族について考える良い機会となった。家族が最も衝撃を受けたのは、病気になった親や子供、祖父母や親戚に会えないことだろう。中でもそのまま亡くなってしまった家族には、会えないままでの別れ、そして埋葬にも立ち会えなかったという悲しみは、癒えることがない、深く、悔しい経験なのではないだろうか。人間の文化は古来より、人の埋葬を大切にしてきた。それは人の生を大切に思い、その死を丁寧に敬ってあの世へ送ることだけではなく、別れの儀式と埋葬が、自分たちの出自や生い立ち、生活や固有文化の成り立ちを記憶と意識に刻み、維持し続けるための重要な営みだからであるだろう。一人だけで送ることもあるだろうが、埋葬には多くの人たちが集まり、その人たちが共有するものを確認する意味を持っている。
感染のリスクを払いながらも経済活動の再開が必要だというならば、まず人の見舞いと見送りこそ、必要なのである。人間性を失った経済活動は意味がない。人の生と死を敬う気持ちは、まず家族によって維持され、伝えられてきた。そしてその気持ちは共同体全体で守られてきたのであるだろう。共同体は経済や政治や大きな文化だけでの繋がりではなく、まずはそこに生きた個人を敬う気持ちを共有する母体なのだ。
家族のいない人は、それだけに、一人で死ぬ「孤独死」という「惨事」に見舞われることが多い。家族が多くいても、死はいつ訪れるかわからないのだから、夜中ということもあるし、風呂に入りながら、ということもあり、一人で死ぬことを「孤独死」ということには違和感を覚える。孤独死が寂しいのは、別れや、看取り、そして、遺体を大切に扱うことを含めた埋葬がすぐになされないままに放置されることによるのだ。それだって、家族が海外に行っていたなどということもあるし、結局人は死ぬときは一人なのである。国家や法律によって禁止されて、または、社会規範で感染者を疎外して、人の死を悼まないことこそが、そして家族や関係者による丁寧な埋葬を不可能にすることが最も「孤独」な死の形なのだと思う。戦争や迫害による死がいかに非道なものかは、人は知ってきたのではないだろうか。
外出自粛が家族にもたらしたもう一つのものは、家族が皆一緒にいることによるストレスである。一緒に居られる時間ができて嬉しいはずなのに、そのことが家族間の軋轢を生む。狭い家の空間に家族全員が閉じ込められることに由来している。そもそも家とは家族が全員いる場所であるはずだし、家族は一緒にいることを前提とした絆である。しかし、家族は一緒にいない方向へ進んで行ったのが現代の家族の形である。父親も母親も子供達も、日中は家にいないことが当たり前だけではなく、家や家族作りの前提となってきている。それが外的な要求で皆が家で顔合わせて二十四時間すごすことになれば、ストレスが溜まるのは当たり前である。
以前に「性的他者とは何か」という論文で論じたことがあるが、家族はそもそも他者同士で作るのであり、家父長制家族でも、長男の嫁をとるということはよそ者が入ってくるということを意味していた。そのよそ者に家の血筋をつなぐ役目を託すのだ。よそ者同士のつながりを血縁関係にしていくのが子供の存在であり、夫婦は子供ができると互いを「お父さん」、「お母さん」と呼び合うようになる、舅、姑も、嫁がよそ者文化を家の中に持ち込んでくるのを意識していたし、事実、雑煮や味噌汁の作り方や煮物など料理の味、家族の習慣などは嫁の存在から変わって行ったのである。嫁いびりはまずよそ者いびり、よそ者文化排除であり、擬似血縁関係から嫁の意識を家の成員として本物の血縁関係に近づけるのはイビリではなく嫁自身の変容次第なのであった。しかし本来的に夫婦は他者同士だし、子供もまた、成長するに従って一人の個人、他者になっていく。
他者同士が一つ屋根の下で仲良く共存する知恵は、まず家族内の序列だったのであり、経済力の所有・分配、そして性的役割分担だった。現代家族では、それらがなし崩しになってきている。妻も経済力を持ち、自分で貯蓄や財産も持つ。性的役割分担は妻が働くようになって、大きく崩れてきている。家事育児は妻だけの責任ではなくなっている。夫は仕事で外、妻は家事育児で家の中、という役割分担と身体的距離の取り方の確保は、夫も妻も仕事で外へと出るようになって変容してきている。東京のように土地に限りがあり、家の中のスペールを広く取れない家族生活では、夫も妻もそれぞれ書斎を持てる場合は少ない。最近の潮流は個室の確保よりも、家族が集まって仕事も、勉強も、団欒もするような家の中の空間配備の奨励である。家は家族の思想だという建築家の考えはコロナ現象で変わるのだろうか。
他者同士の夫婦は年月を経るにつれて、身体的な接触が苦痛になったり、面倒臭くなったりする。それに従って心も離れれば家庭内離婚となるが、心はそれなりにつながっていても、寝室を別にしたり、一緒にいたがる退職後の夫を濡れ落ち葉とか産業廃棄物とかと揶揄することに共感を覚える妻も多い。外で働き生活費を家に持ち帰ることを通して夫の存在意義を示してきたのだから、それが一日中家にいて、料理も洗濯も子育てもできない夫は邪魔に感じられても仕方ないのである。夫の側から言っても、家では仕事場が確保できないし、邪魔が入るし、慣れない妻との会話も苦手になってきていたので、家にいることは苦痛なばかりであるだろう。
結局家族は他者の寄り合いであり、それぞれが皆一人でいる時間と場所が必要で、それを家の外、家族の外に求め、得てきた現代の家族人は、家からのリモートワークはできないのである。家は仕事場でも憩いの場でも、飯と風呂だけで成り立って居た楽園でもなくなっている。飯も作らなければならないし、風呂も掃除しなくてはならないからだ。
それは妻にとっても同じである。家事のアウトソーシングはすでに常識になっていて、会社やバイトで仕事をしない専業主婦も大いに活用して、自分の時間、家の外での時間を得てきているのだ。家族や家庭を維持する最低限必要な労働をアウトソーシングするのは、グローバル経済時代に、外国に食料や衣服、車や機械の部品、洗剤、そしてマスクなどの生産をアウトソーシングすることの、家庭という私的な場への浸透である。家族は経済的な理由や役割分担、世代的序列などで共同体としての構造が保たれる必然的な組織ではなくなり、個人が自由に行動できるための、身体的な共存の理由のない絆であり、精神的、感情的絆は、責任とは切り離して考えられるようになったのだ。家族の責任は、家という場での共存を必要としなくなっている。
日本では戦後の家父長制家族の解体と核家族化の進展で、家という家族のいる場の構成に関する考えも大きく変わってきた。夫婦の寝室、子供達のそれぞれの個室の必要性、働く夫と専業主婦の妻、夫の労働力の再生産、生命の再生産の場としての機能を果たせる構造を建築家と建築業界は大量生産してきた。しかし、夫の遅くまでの会社勤務、子供達の不登校や家庭内暴力の問題、妻のうつ病など家族をめぐる課題が深刻化していき、家族内のコミュニケーションの改善を、家の構造の見直しからも考えようとする動きは妥当なことだと思うが、家族の課題は、もうそんなことでは追いつかないほどの地点に来ているのではないだろうか。
今人間は記憶も感情すら自分の脳から、外部への記憶や記録をアウトソーシングすることをし始めている。それは自分の肉体をミイラにして永遠に残したいと願った古代人や遺体を宇宙船に乗せて地球の周りを永久に回らせたいと願う現代の金持ちと同じ発想である。コンピュータが脳の機能の外部への拡張だと考えるならば、このような発想は当たり前なのかもしれない。家族自身が自分たちの役割を外部へ、コンピュタの頭脳へアウトソーシングしていくときに、リモートワークの小さなコンピュタが家族の空間に入ってきて、ストレスで満たして行くのは、悪いジョークのようなものだ。
2020/08/17
コロナ感染が至らなかった埼玉県の坂戸地域は大宮や浦和方面に比べて、経済、文化の中心地から少々外れている感がある。大宮方面は元中山道、関越道が長野方面へ続く交通の要所だが、川越、坂戸方面も秩父へ、山梨県へ、そして、神奈川県へと続く重要な交通の要所でもあった。しかし、その交通路は平野を横切ることなく直接に山に向かって進む道なので、貧困に喘いできた農村や修験者やお遍路さんの通ういわば裏街道だったのである。それだけに、一方では村々が閉鎖的になって、伝統的な生活様式や意識が長く保たれたが、他方で表街道では伝わらない秘密の情報が、人々の人目を避けた秘密な動きで伝わっていく重要な路でもあったのだと思う。
現在放映中の大河ドラマを見るたびに、政治の中心が関東から、美濃方面の山岳地方を経由しながら再度西へ移っていく過程を見る思いがして、江戸時代に再び関東が政治の中心地になっても、文化や海外との交通は依然として西にあり、現在の政治、経済、文化の一大中心地の東京=関東圏を形成するまでに長い時間がかかったことを改めて知らされる。
東京を中心とする埼玉、千葉、神奈川の関東三県はコロナ感染者が最も多い場所だが、その同じ関東圏でも房総半島や坂戸地域には感染者が出なかった。都会から離れていることや、東京以外の他の地域からの交通網が発達していないことも原因の一つであるだろう。それは他の全ての道が、それぞれの地域から東京へと向かうように作られてきたためである。最近ではこれらの地域も東京のベッドタウン化されてきているとはいえ、それぞれの道が東京へ通じるように計画されてきて、地域同士を結ぶ交通網が発達してこなかったこともあるだろう。東京への道を塞げば、それで、狭い関東圏でも、各地域は自閉できるのだ。
昔は少し違っていた。東金市には雄蛇ヶ池という静かな佇まいの池があるが、その名前と静謐な雰囲気から、さぞ伝説の多い池だろうと思ったが、実は雄蛇ヶ池は坂戸市出身の人が作った貯水池なのである。東京、埼玉、千葉、神奈川は連動していて、昔から武蔵、房総、伊豆は経済ばかりでなく政治、文化でも深い繋がりがあったのだ。いざ鎌倉とかけつけたのは坂戸地域以西の武蔵武士であるし、東京湾を越えて千葉と神奈川は政治においても繋がって重要な役割を果たしてきた。
城西国際大学を創立した時、城西大学のある坂戸地域と東金、房総地域はどのようにつながるのかとしきりに考えたことがあった。今コロナ感染者の動向でこの地域は一緒に報じられるので、やはり東京を中心に今でも繋がっているだと、地域間の関係の深さは心の中だけではないのだと思いなんとなく嬉しくなる。
坂戸へ向かう道は、山に向かう道で、行けば行くほど緑が深くなり、春一早く咲くこぶしや臘梅、桜や花水木、連翹や山吹、カタクリの花、など花の咲く木や草、そして実のたわわになる柿の木々が、昔ながらの農村の風景を展開してくる。山に入っても北向き斜面は暗いが、南に拓けた斜面は明るく日当たりがよく、柚子もなっている。他の地域から閉鎖がちの農村では、それだけに祭りは賑やかで、有名な火祭りをはじめとして、晩秋のさびれがちな農村にいっとき華やかな景色を見せる。隠れ里のような場所だからこそ、高麗神社が千年もそこで続いて、朝鮮半島からの渡来文化を保存・維持してこられたのだろう。
一方で、房総へ向かう道は、海に、しかも、太平洋へ向かう道なので、だんだんと木々の茂りが薄くなり、杉で有名な山武地域を過ぎると、広い田畑が海まで続いている。それはなんとも言えない開放感と、太平洋の向こうの未知の世界への憧れをかきたてる。房総半島にはその中央を走る山もあるが、鋸山を除いては、険しい山はなく、里山の拓けた地域である。
太平洋横断の橋が交通状態を随分と改善したが、それでも地域で「閉鎖」しても生業が成り立つ豊かな地域として、コロナ状況を乗り切り、皆都会へ向かわなくても、リモートで仕事をするにはもってこいの生活環境を維持してほしいと願うばかりである。
2020/06/1
本を読まなくなったといわれて久しいが、本を読まない時間、人々は何をするようになったのだろうか。外出自粛で家にいる時間が増え、ストレスが溜まってきても、人々はその解消をテレビなどの映像を含む情報発信に頼り、本を読むことに頼ろうとしない。家にいるストレスの中には4、6時中家族と一緒だからということからも大きいだろう。いかに親しい人とでも、自分の時間が持てないことは苦痛である。本を読むという行為は一人になることを必要とする。子供達や夫婦で読み合うこともあるが、原則的に本を読むのは思索をすることであり、自分の内面と向き合うことでもあるので、一人の時間が必要となる行為なのである。
イギリス文学では、生活に余裕のある都市中産階級の定着によって、女性の識字率が上がり、家で過ごす女性の時間に余裕が出てきたことによって、小説というジャンルが発達したと言われている。印刷術の発達も、物語を一人で読むということを可能にした。文明と本の関係は、読者の側の環境変化に大きくして依拠してきたのである。
19世紀の半ば、アメリカに賃金労働者が急速に増えた時に、雑誌というメディアが出現した。労働者が夕食後の時間を過ごすのに、読み切りの記事や小説を載せる雑誌は手頃に手に入り便利だったのである。その頃短編小説や短い詩、評論やエッセイというジャンルも発展していくのだが、それは読者が、暇な時間を潰す、自分の時間の使い方に合わせているし、また、情報の入手の仕方とも関係していたのである。ラジオやテレビの普及以前は、活字文化があらゆる階級に浸透していき渡る時期でもあった。
現代人が活字離れをしていく過程には映像文化とテクノロジーの発展があり、人々の情報・知識の取得手段と、討論や意見交換の方法の変化があり、そして、それに伴う感情や情緒のあり方や機能の仕方も変わったのだと思う。
本の読み手が減るということは本の書き手も減る、あるいは変容するということだ。一冊の本を書くことは一冊の本を読むことの何十倍、いや何百倍の時間と努力と思索を必要とする。本を書くことは他者とのコミュニケーションの重要な手段ではあるが、一人も読者がいなくても本を書く書き手もいる。それは書くことは自分と向き合うことであり、書かなければ自分が見えないからだ。書くことは内的な衝動に突き動かされる行為だからだ。
しかし読み手がいないと、作家や評論家は減っていくし、書くものの内容も変わっていく。作家とはそれで生計を立てる人のことを言うのだからだ。本が売れなくなれば、教員になるか、テレビに出ることで、作家や批評家、哲学者をやっていくことを考えるようになっているのだろうが、やはり、狙うはベストセラーだろう。印税という制度が存続可能である限りはであるが。少し前は日本は一億総作家、一億総読書人と言われたことがあったが、あっという間にその現象は消えてしまったのだろうか。
そこには情報の取得の仕方と、情報への信頼の持ち方が大きく関わっているのだと思う。絶対的な、普遍的な真実に対する疑念、自分の真実は他者の真実ではないという相対主義、そして真実を求めることへの冷笑と諦め、それらを加速させるのは、ビッグデータと呼ばれるコンピュタの情報蒐集に対する敗北感から来るように思える。先日テレビでビッグデータを分析することで感染症対策の道を見出そうという科学者達の試みを聴きながら、これでは一人の人間の頭脳や思考は全く敵わない、作家の考えることや書くことが信頼されないのも、説得力のある本が読まれないのも、致し方ないと感じてしまったのである。何よりも書き手本人が自信をなくしてしまうのではないだろうか。どんなに時間をかけて調べても、思索をしても、それはたかが一人の人間の頭脳と精神や心の産物である。あの人は何を考えているのだろうか、あの人ならどのように対応するだろうか、と一人の作家や哲学者の思考をたどっていたいという知的欲求はなんとも心もとないことになってしまう。書き手の側が、わかりやすく、情報が整理されていて、読みやすい本を書くようになるのは仕方ないことなのだ。
今日ではいかにヒットラーであっても、あれだけ多くの不特定多数の人々の感情や思考をコントロールして、600万人ものユダヤ人を殺すことはできないだろう。皮肉にも一人の人間の頭脳や思考、精神は矮小化されてしまう傾向にあるのだから、たとえヒットラーにしても、もうそんなに信じてはもらえないのだ。コンピュターが人間の頭脳を越える時が危ないという人もいるが、すでにビッグデータは超えている。人間が自分の思考や感情をデジタルに移行させて残したいと欲求することは、自分の遺体を宇宙に飛ばして、地球の周りを回らせようとするくらいの独りよがりな値打ちしかないのだ。これからはさらにビッグデータの中の一片の情報に過ぎなくなることは明らかなのだ。
しかし、このような状況下だからこそ、哲学者が脚光を浴びているのではないだろうかと思うと皮肉である。テレビでインタヴュに答える哲学者たちは、それぞれ、何百万部のベストセラーを持っている人たちで、その本も、インタヴューでの答えも大変わかりやすい。彼らの分厚い本はあっという間に読めて、あれだけの情報を調査し整理したのに、気の毒に思った。
哲学は難しくなくなり。また一人での思索も必要としなくなったかのような印象さえ持ったのである。外にいることが原則あるいは前提となった家族のいる家は、皆が家にいるようになると、一人に閉じこもらなくても読める本が必要なのかもしれない。刺激的で魅力的な若い哲学者たちに乾杯である。
2020/06/1
外出自粛で、テレワークなど家を仕事場とすると、やはり個室が必要になる。会社で仕事をすることを当然として、家と仕事場を分けて来た人たちには、家に自分だけで使える書斎がない人もいるだろう。家族共有の場で仕事をするのは、慣れていない人にはもちろん、慣れてもなかなか集中できないだろうし、家族にとっても落ち着かなくなってしまう。家に仕事を持ち込まないことを信条としている人もいる。資料などが家にはないことや、一人で使える空間がないということだけではなく、仕事と個人生活の住み分け、ひと頃良く言われたonとoffの仕事とプライベートな時間的区分が、同時に、頭脳や心の区分に繋がっているからだろう。だが、頭脳や心は自動的に切り替えることができるのだろうか。家というプライベートな居場所としての空間で、それを可能にするのは、書斎=仕事スペースと居間などの区分なのだろう。建築が思想的にも主役な時代なのだ。
それでは家に自分だけの部屋がない人は、自宅勤務は無理なのだろうか。元来研究者や作家など家で仕事をする人にとっては書斎はなくてはならない一人だけの空間である。書斎は大きい方がいいという人と小さい方がいいという人がいる、窓から外へと拓けている空間がいいという人と、暗く閉鎖的な方がいいという人がいる。書斎は志を同じくする人たちと語り合う場だという人もいれば、書斎は隠れ家だという人もいる。本や原稿や資料で辺り構わず散らかしている人もいれば、机の上にコンピュターだけがのっている人もいる。昔は原稿用紙と万年筆だったが。本は書斎には置ききれなくなって、家中に本棚を作り、食堂にも、台所にも書棚がある家も知っている。戦後の住宅難時代には、書斎は求めようもなくて、喫茶店や地下鉄で執筆した人も多く知っている。私の恩師は、部屋の中に洗濯物の干し綱を張りめぐらして、そこに、洗濯バサミで資料や原稿を下げていた。今思い出すと懐かしい風景である。
私は結婚してからは一貫して書斎は夫との共有だった。子供が増えるにつれて、家の中に書斎のスペースもなくなっていき、テラスを閉めたり、ガラージを潰したりして書斎を作り、二人で共有した。初めは机を並べていたが、次第に互いの机の距離が広がり、部屋の彼方とこちらが互いのテリトリーとなり、書斎に入っても相手のいるところを素通りして自分の机に行くようになり、それだけに相手の存在は全く邪魔にはならなかった。
それでも私は寝室にも、居間にも机を置いていた。部屋よりも机の方が、家にいるときにいろいろなことをしなければならない私には必要だったのだと思う。東京のマンションでは二人の書斎はあったのだが、納戸に私の机を入れて、その小さくて暗い空間が気に入っていた。現在は書斎を独り占めしていて、亡き夫の机の上にも原稿やメモを広げて、のうのうとしているが、それでも夫の後ろ姿はその部屋の風景のなかにい続けている。
家の中の居場所とは、家が居場所でありながら、さらにその空間にもう一つの空間を必要とすることで、それはつまり、家族間の距離のとり方と、自分の内面と向き合う、そしてそこに沈潜するためにどのような空間を必要とするのか、という課題なのでだと思う。
会社などの仕事場では内面に向き合わないのだろうか。会社で個室を持つ人は役員級の人だろうから、ほとんどの人は机があるだけなのではないだろうか。個室があってもガラス戸で、中が見られるようになっている場合が多いだろう。他者とスペースを共有する図書館は本を読むだけでなく、執筆や思考をする場でもあるだろうし、個人が使える机のあるスペースを設けている美術館や多目的ビルなどもある。一人でいる、という身体的な条件よりも、一人になれるというメンタルな条件を満たしているかどうかが、課題なのだと思う。一人になることは他者のいる空間では可能でも、家族のいる空間では困難なのだ。距離とは身体的なことばかりではなく、メンタルなことなので、親しい人たちとの間では距離を取るのが難しいのだ。
仕事と家庭の分離は望ましいのだろうか。そして、家の中に個室がないと分離は困難なのだろうか。現在でも、仕切りのない広いスペースのあるロフトはアーティストや、作家の生活と仕事空間として人気がある。そこに仕切りを作っている人もいるし、全く仕切りがない空間の中で仕事をし、食事を作り、寝ている人もいる。大勢の家族でというのはないだろうが、二人で暮らしている人は多く知っている。アーティストにとって仕事と心は一体化していることが多いからだろうと思う。
漱石など戦前の作家の中には書斎が客間でもあって、仲間の作家や弟子たち、記者たちなどは、書斎兼客間で作家と会い、話をし、交流をする場としてあったらしい。執筆している時間には家族も人も入れないのだ。つまり、場所を区別するのではなく、時間で区切るのである。その方が合理的でもあるように思える。客間は作家にとっては、文学の話をしたり、論議をしたり、レクチャーをする場ともなるし、また、インタヴューや取材を受ける場でもあるのだから立派に仕事場である。客間と書斎が一体化した仕事場であるならば、一人になる場は時間で区切って作ればいいのだ。
一昨年訪ねたマルグリット・ユルスナールの家も、ロングフェッローの家も、客間と書斎が作家の仕事の場で、家族との居場所はキッチンとそこに置かれた大きなダイニングテーブルのある空間だ。昔の茶の間である。これもまた合理的であるが、そんなスペース的な余裕を日本のマンション生活に持っている人は少ないだろう。戦前の東京の借り家の方がずっと贅沢な住居環境だったのだ。とはいえ、この家の中の公的空間と私的空間の区分は、うんでもある家にいる主婦というジェンダーの区分でもある。妻が一人だけの部屋を主張すれば、このようなジェンダー機能に依拠するマンションの居場所構造は機能しなくなってしまう。
外出自粛以前でも作家たちは編集者や記者とはメールでやり取りをすることが多かったと思うし、会って打ち合わせが必要な場合でも家で会うよりは喫茶店など外で会うことの方が多かったのではないだろうか。
働く夫にとっても、働く妻にとっても、家はますます仕事場ではなくなっていき、仕事力、労働力再生産の限られた私的な場所となっている。「めし」「風呂」の場化しているのだ。家が居場所の主婦にとっては「めし」と「風呂」以外のことをする夫は邪魔な存在なのだろう。現代社会の住環境は進化しているように見えて、実際には実態とのギャップが広がる退化なのだ。
女性=妻にとっても、仕事は外ですることが多くなった。内職ではなく、会社勤めにしても、非正規雇用の仕事は、家に持ち帰ってする仕事ではないことが多く、仕事スペースは家の中には必要なく済ませられる状況が今日まで続いてきたのである。子供や夫が一日中家にいる時に、主婦が会社の仕事をするスペースは、初めから計算に入っていない家の空間構成なのだ。
男は仕事、女は家庭、仕事は外、私的な時間は家、というコンセプトが、ジェンダー役割の変容の実態に向き合わないままに、今日まで温存されて来たのだから、今急に夫も妻も在宅勤務と言われても、住環境も、心も、家族関係もついていけないのは当然である。在宅勤務を可能にするのはテクノロジーの進展ではなく、それを可能にする住環境の整備でもなく、個人と家族関係という現代文明の課題に真剣に向き合うことであるだろう。高度専門職業人としてのキャリアーを求める女性=妻も、男性=夫と同じ比重を占めるようになって来ている社会で、女性の労働者は、家計補助ための非正規の、アルバイト的な仕事をするものという固定観念を前提とした社会制度のあり方が変わらない限り、住環境も、家の構造も旧態依然としたままで、夫にとっても、妻にとっても、在宅勤務は困難なのだ。
2020/06/1
家で快適に過ごすための情報が盛んにテレビ番組で報道されている。家で過ごすのは快適ではない、という前提に立っているとしか思えない番組であるが、それが外出自粛という異常事態を乗り越えるための「役に立つ」情報として受け止められている。家で過ごすことが日常の時間ではない人たちとは、仕事場、学校で過ごす時間が1日の大半である人たちだろう。その人たちにとって、家とは何なのだろうか。ひと頃「三食昼寝付き」という言葉が主婦を揶揄して使われたことがあった。その言葉が色あせたのは、主婦や家事に対する見方や考え方が変わったというよりは、家にいる主婦が少なくなった、働く主婦が多くなったからだろう。働く主婦にとっても、家事は負担になったのだ。いや、それは働かない主婦にとっても負担だったのだのが表面化したのだ。「飯」「風呂」しか言わない夫や何度も呼ばなければ食卓に来ない子供達、朝食の準備は、時間に間に合うように出かけなければならない夫や子供達のために、慌ただしく過ごす主婦にとっては戦場のようなものだ。家庭はプライベートな場所ではなく、主婦の役目を果たす公的な場なのだ。
家はプライベートな場で、どんなわがままも許される、わがままができる場だからこそ癒しの場なのだと考える、夫や子供達に反して、主婦はその癒しの場を与えるのが役目と考えられているのだから、決してプライベートな場ではありえない。家事労働の経済的計算が推奨されたこともあるが、実際現在でも主婦の免税、夫の年金への権利、など社会制度は主婦の労働が、愛情による自主的なものであること、家族の維持のために必要な労働であることに依拠した制度を維持している。
外出自粛で仕事や学校へ行かないで家にいることが、夫にとっても、子供にとっても、そして主婦にとっても、癒しの時間どころか、苦痛な時間となっていることは明らかである。だからこそ家で快適に過ごすための情報が氾濫するのだ。夫たちは家を買うために働く。家を守ると考えられている母親がいない家、働く母親を持つ子供たちは鍵っ子などと言われて、家が快適で癒しの場ではなくなっていることを示している。しかし現在では「日中主婦が家にいない家」が当たり前になってきているからこそ、外からの要請で家で過ごさなければならないのは家族全員にとって快適ではないのである。Empty nestどころか満タンなnestは今や異常事態なのだ。
戦後の日本は、夫、主婦、子供たち一人一人の個室の必要性の有無を、社会学者や住宅産業をあげて論じてきた。狭い土地に住む日本の家族にとっては、大きな問題でもあったのだが、それ以上に、家族のあり方に関しての論議として、私たちは真面目に論じてもきたのであるだろう。現在では、台所に立つ主婦が家族のそれぞれの動向を見渡せる構造の家、勉強も食事も、家族の集まりも可能にする仕切りのない居間兼台所のある広間、が流行りのようで、それは個室主義の弊害への解決法として、場所論から入るという戦略である。昔は日本家屋の中の茶の間が一応主婦の居場所で、食事の時に一家が集まる、つまり主婦の居場所に全員集合、という生活様式だった。円地文子の小説『食卓のない家』は、そのような主婦の居場所へ家族が集まることのない、バラバラになった全共闘時代の家族を描いている。それは家族が離散するということでもあるが、同時に主婦の存在が希薄になっていく家族現象を描いているのである。
家で仕事をするとなると、仕事場としての個室が必要である。学者や研究者、作家にとって書斎の重要性はいうまでもなく、仕事場でもあり、「自分一人の部屋」でもある書斎はこれまでの家空間構成の中心をなしてもきたのである。家は決して、主婦や家族のためだけではない、作家としての個人の生きる場所でもあった。それならば、働く主婦にとっても、子供にとっても同じことで、家の構造論議は振り出しに戻ってくる。主婦作家も多いのだし、イギリスの女性作家、ジェーン・オーステインが台所の椅子で小説を書き、それを椅子のクッションの下に隠していたという話はよく知られているし、ヴァージニア・ウルフの「私一人の部屋」は女性にとって自己と向き合い、自分であり続けるための必要不可欠な条件でもあったのだ。20世紀の日本女性詩人、石垣りんも同じことを考えていたことは明らかである。
現在、家がないとまず困るのはまず寝場所だ。世界中にホームレス人口は急増しているが、ホームレスとは実際には寝場所としての家がないことを意味している。家に代わって、寝場所は車の中や公園、駅の構内、ネットカフェ、路上、など、友人の家やホテルに泊まれない人たちは何とか寝る場所を確保しなければならないのだ。家とはまず雨露を防ぐ寝場所のことなのである。難民キャンプは、故郷の家を捨てて他国へ来た人たちのための、家に代わるテントという最低でも雨露を防ぐための寝場所群で成り立つコミュニティだが、生活の場としては環境が劣悪であることが多い。
そんな人たちには、家で過ごすことが苦痛であり、ストレスが溜まると感じる日本人はどう映るのだろうか。高い借金とモーゲッジを払ってせっかく手に入れた家という居場所なのに、そこで過ごす時間が長いとストレスが溜るという現象は、生き方の哲学、家族関係や社会的関係論としてしか論じることはできないのではないだろうか。それはコロナとは無関係なことなのであるだろう。それはもう家という場所論ではなく、居場所論であり、他者や社会関係論でも、実存論でもあるだろう。お家さまは嘆いているのではないだろうか。