2017/08/29
椅子
誰かが座っていた
庭主だろうか
もう光は椅子に 当たらず
暗闇の中
誰かが寄り添っている
主のいない庭に
魂が集まり
寄り添っている
(写真;王品添)
2017/08/19
信頼と対等と自由意志。そして存在理由となる価値観。これらによって選択された裏切りはり、自己救済と生き残りのために仕方なく選んだ裏切りへの参加とは桁違いに、 (さらに…)
2017/08/19
友情や友人関係には対等や平等の観友情は愛情、恩義とも異なり、家族や同志、部下や弟子など全ての裏切りの対象を超越しているのだが、全ての裏切りに関係している。 (さらに…)
2017/08/18
裏切りと復讐、制裁、処罰の関係は、どのような裏切りの形とその対象においても表裏一体をなし、そこには、人間的正義という価値観が、法の価値観とは異なるものだという、その意味で社会的正義の裏からの達成というフレームが存在する。 (さらに…)
2017/08/18
礎石の「虞美人草」は「こころ」とは反対に、女が正面切って男を手玉にとるのだが、男同士の共同体によって罰せられる話だ。ここではホモソーシャルな共同体が法であり、それは同時に人間的な正義の裁きを代表する掟としても機能していて、 (さらに…)
2017/08/18
弟子と部下による裏切り、同志による裏切り、親族家族による裏切り、恩人への裏切り、友人による裏切り、愛人による裏切り…… (さらに…)
2017/08/17
友人や恋人など、最も身近にいて信頼していた者を裏切るのは、裏切りの中でも最悪の行為、人間として最も罪の重い行為とされる。友情や愛はそれ自体犯されざる人間の条件である。先の2映画作品ではその裏切りは法によって罰を受けるが、法も社会組織も裁けない裏切りの中核をこれらは形成している。 (さらに…)
2017/08/17
ノアールは男の堕落の陰に女の性があるというジェンダーバイアスが明らかなディスコースを持つ物語だが、女が誘惑する形は間接的であることも多い。例えば「太陽の当たる場所」(ドライザー「アメリカの悲劇」の映画化)、アラン・ドロン主演演の「太陽がいっぱい」などは特権階級の富裕層と美女所有が表裏一体となっていて、 (さらに…)
2017/08/17
犯罪物語の中でも特異な位置付けと、そのため多くの観客や読者を惹きつけてきたフィルム・ノアールはまず女が男を犯罪に引き込み、その後に彼を裏切る、というパターンが典型的である。女が犯罪組織に使われて男を誘惑するパターンも顕著だが、 (さらに…)
2017/08/17
一方で最近の映画「沈黙」(遠藤周作の小説の映画化)はキリストを否定した人たちの裏切り者という自己否定からの救済を目的とする思想的物語であると言えるだろう。生き残りのために、つまり自らの生命を全うするために、こころと身体を切り離して、 (さらに…)
2017/08/17
能劇は敗者の無念を、そのためにさまよい続ける魂の救済を表現舞台の上で成し遂げる物語が主流を占めている。勝者によって語られる歴史のフェイク物語に対する、敗者のさまよえる魂の真実を、その物語を「演じる」、そして観客が「聴く」ことを通して行う文学、宗教劇なのだ。 (さらに…)
2017/08/17
裏切った者が文化表現空間で非人間的な、正義に悖る行為を犯したものとして永遠に語られ、裏切られた者の無念と復讐者の信念と勇気を人間的正義として永遠に生き続ける、 (さらに…)