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水田宗子

幕間

詩との出会い 詩人との出会い

2018/06/7

 Facebookで偶然Danno Yokoという名前を見つけて驚いた。1960年代の始めイエール大学の大学院生であったころ、偶然に図書館でその名前の詩人の詩を読んだのだった。アメリカ人の友人が、私が詩を書いていることを知って、これがお前の作品ではないのか、と言ってきたのがきっかけであった。私の作品がどこを探してもないので、きっとペンネームで書いているのだろうと思ったらしいのだ。
 その友人はロゼッティについて論文を書いていて、ポオについて書いていた私とはお互い近い領域をうろうろしていた。神学部出身のクリスチャンの彼が耽美的でグロテスクな美に関心が強いことに、私は興味を抱いてもいたのだった。論文を終えて、彼はオバリン大学の助教授に赴任していったし、私は同じ時にロンドンへ家族で移ったので、それ以来彼と会ったことはない。しかし、彼が見つけたDanno Yokoの詩のために、彼も私の記憶に刻まれたままでいる。その時に読んだ詩は最近出版されたDanno Yokoの初期詩集にも載っていない、本当に初期の作品だったことがわかった。それが『Prizm(プリズム)』という雑誌に載っていたことも、Dannoさん自身も忘れていて、探し出して送っていただいた。1960年代、Yaleには若い詩人に与える詩賞があって、かなり多くの詩人たちが集まっていたのだった。W.H.オーデン、ロバート・ペン・ウオーレンも講義をしていたし、私はT.S.エリオットの講演を聞く幸運にも恵まれたのだった。
 Dannoさんの詩は全て英語で書かれている。澄んだ風や水が感じられる清澄な感性が覆う詩的空間で、不安や恐れに敏感な内的な世界が重なり合って、季節の移り変わりのように自然な時の流れのように、何も言われない、空白のような、詩の時間が移ろっていく。日本的な空白のメタフォア、表層に意味が浮かび上がらない沈黙の静かさが心を捉える。
 この印象はこれまでの50年間私の心にずっと住み着いていた。だから偶然スクリーンを通して詩人Yoko Dannoに出会ったことは、私にとっては忘れられない二度目の遭遇であった。と言って私はまだご本人にお会いしていないのである。一編の詩には詩人のすべてが詰まっている。ところが、詩作品と詩人は別の存在に思える時も多くある。詩はいつも自分の秘密の空間なのだから、日常生活では他人には決して見せないのだ。詩人は二重性格者なのだ。
 Danno Yokoとの出会いは一編の詩のもつ他者の心を貫く力との出会いだったが、詩人との出会いも楽しみである。最近のDanno Yokoの作品はその底流には同じものが流れていて、50年の月日を私は感じないままである。しかしお互いに50歳年をとったのだから、現実の詩人との出会いへの期待は増すばかりだ。

 

国際メディア・女性文化研究所「ニュースレター」より

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