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水田宗子

幕間

随想「川と都市」 

2018/06/7

 「世界女性学長会議」で中国の武漢を訪れた。武漢は揚子江の流れに沿って発展してきた歴史のある都市だが、大河に合流する3本の支流が街を3つの区域に分けている。都市を訪れるとまずそこを流れる川が都市をどのような形に作り上げているかに関心を持ってきたが、川幅の広い揚子江が街を分断することなどないだろうと考えていた。しかし、川には支流があること、その支流は地形形成に本流に負けない大きな力を発揮することを気付かされたのだった。武漢はその支流によって、T字型に官庁や観光の中心地、商業—工業地域、そして発展から取り残されている昔ながらの地域に分断されていた。

 私たちを武漢の空港で迎えてくれたのは城西国際大学博士課程の卒業生で、北京科学大学教授の張麗さんと彼女の友人3人だった。彼らは20数年まえに新潟大学へ私費留学した時の友人たちであり、それ以来一度も会ったことがないのだという。国立大学への私費留学生は、国費留学生と比べて生活が著しく厳しく、彼らは日本料理屋での皿洗いのアルバイト仲間なのだった。20年ぶりだというのに彼らは昨日まで一緒にいたかのような仲良しぶりで、会わない間もずっと変わらぬ友情を温めていたことがわかる。

 短い滞在の最後の夜を彼らが漁師町の中にある、地域の人たちの行くレストランに招待してくれた。武漢は湖の多い街でもあり、漁師町は学会会議場の迎賓館のある美しい湖畔の環境とはまた異なった、暗い中に水面に対岸の湖畔の光がきらめく民話の風景の中にいるような感じがした。ギョロ目の、鱗の大きな川魚を丸ごと油で揚げた料理をこわごわ味わい、その美味しさに感嘆した。友人たちはみな武漢大学で教えているが、以前は通訳の仕事をして、中国の政府や企業人を日本へ引率して行くことも多かったという。近年日本企業が少なくなり、日本語の履修者が年々減っていき、 通訳や翻訳の仕事も来なくなっている、日本へ行く機会も最近はないと残念がっている。日本語の巧みな彼らを前にして、悲しい気持ちになった。

 私がよく訪れる大連や瀋陽など東北地方には日本語を話す人が多いのに比べて、武漢は戦争体験から反日感情も根深いものがあると言われているが、それでも日本企業の進出から日本語ブームの時代もあったという。改革開放後いち早く日本へ留学をした人たちがこれまで日中関係に大きな貢献をしてきたことは確かなのである。日本側も留学生受け入れの環境が万全ではなかった時代に、苦労をして日本語、日本文化を勉強した人たちが、今でも変わらない日本文化を愛する気持ちを持っていることにも感動を覚えて、卒業生を通してこの人たちに会えたことに、留学生を介しての強い絆を感じた。

 他者との出会い、他者の文化の中で生きる経験が人の生きる形を形成することを、川の流れと重なり合って感慨深かかった。

 

国際メディア・女性文化研究所「ニュースレター」より


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