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水田宗子

偶感

コロナ雑感7 コロナと地域

2020/08/17

コロナ感染が至らなかった埼玉県の坂戸地域は大宮や浦和方面に比べて、経済、文化の中心地から少々外れている感がある。大宮方面は元中山道、関越道が長野方面へ続く交通の要所だが、川越、坂戸方面も秩父へ、山梨県へ、そして、神奈川県へと続く重要な交通の要所でもあった。しかし、その交通路は平野を横切ることなく直接に山に向かって進む道なので、貧困に喘いできた農村や修験者やお遍路さんの通ういわば裏街道だったのである。それだけに、一方では村々が閉鎖的になって、伝統的な生活様式や意識が長く保たれたが、他方で表街道では伝わらない秘密の情報が、人々の人目を避けた秘密な動きで伝わっていく重要な路でもあったのだと思う。

現在放映中の大河ドラマを見るたびに、政治の中心が関東から、美濃方面の山岳地方を経由しながら再度西へ移っていく過程を見る思いがして、江戸時代に再び関東が政治の中心地になっても、文化や海外との交通は依然として西にあり、現在の政治、経済、文化の一大中心地の東京=関東圏を形成するまでに長い時間がかかったことを改めて知らされる。

東京を中心とする埼玉、千葉、神奈川の関東三県はコロナ感染者が最も多い場所だが、その同じ関東圏でも房総半島や坂戸地域には感染者が出なかった。都会から離れていることや、東京以外の他の地域からの交通網が発達していないことも原因の一つであるだろう。それは他の全ての道が、それぞれの地域から東京へと向かうように作られてきたためである。最近ではこれらの地域も東京のベッドタウン化されてきているとはいえ、それぞれの道が東京へ通じるように計画されてきて、地域同士を結ぶ交通網が発達してこなかったこともあるだろう。東京への道を塞げば、それで、狭い関東圏でも、各地域は自閉できるのだ。

昔は少し違っていた。東金市には雄蛇ヶ池という静かな佇まいの池があるが、その名前と静謐な雰囲気から、さぞ伝説の多い池だろうと思ったが、実は雄蛇ヶ池は坂戸市出身の人が作った貯水池なのである。東京、埼玉、千葉、神奈川は連動していて、昔から武蔵、房総、伊豆は経済ばかりでなく政治、文化でも深い繋がりがあったのだ。いざ鎌倉とかけつけたのは坂戸地域以西の武蔵武士であるし、東京湾を越えて千葉と神奈川は政治においても繋がって重要な役割を果たしてきた。

城西国際大学を創立した時、城西大学のある坂戸地域と東金、房総地域はどのようにつながるのかとしきりに考えたことがあった。今コロナ感染者の動向でこの地域は一緒に報じられるので、やはり東京を中心に今でも繋がっているだと、地域間の関係の深さは心の中だけではないのだと思いなんとなく嬉しくなる。

坂戸へ向かう道は、山に向かう道で、行けば行くほど緑が深くなり、春一早く咲くこぶしや臘梅、桜や花水木、連翹や山吹、カタクリの花、など花の咲く木や草、そして実のたわわになる柿の木々が、昔ながらの農村の風景を展開してくる。山に入っても北向き斜面は暗いが、南に拓けた斜面は明るく日当たりがよく、柚子もなっている。他の地域から閉鎖がちの農村では、それだけに祭りは賑やかで、有名な火祭りをはじめとして、晩秋のさびれがちな農村にいっとき華やかな景色を見せる。隠れ里のような場所だからこそ、高麗神社が千年もそこで続いて、朝鮮半島からの渡来文化を保存・維持してこられたのだろう。

一方で、房総へ向かう道は、海に、しかも、太平洋へ向かう道なので、だんだんと木々の茂りが薄くなり、杉で有名な山武地域を過ぎると、広い田畑が海まで続いている。それはなんとも言えない開放感と、太平洋の向こうの未知の世界への憧れをかきたてる。房総半島にはその中央を走る山もあるが、鋸山を除いては、険しい山はなく、里山の拓けた地域である。

太平洋横断の橋が交通状態を随分と改善したが、それでも地域で「閉鎖」しても生業が成り立つ豊かな地域として、コロナ状況を乗り切り、皆都会へ向かわなくても、リモートで仕事をするにはもってこいの生活環境を維持してほしいと願うばかりである。

 


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