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水田宗子

幕間

2017/08/17

ノアールは男の堕落の陰に女の性があるというジェンダーバイアスが明らかなディスコースを持つ物語だが、女が誘惑する形は間接的であることも多い。例えば「太陽の当たる場所」(ドライザー「アメリカの悲劇」の映画化)、アラン・ドロン主演演の「太陽がいっぱい」などは特権階級の富裕層と美女所有が表裏一体となっていて、富も女も持てない男の嫉妬と乗っ取り参加の欲望を掻き立てる。女が富や権力が所有することのできるものの象徴として扱われていることは明白だ。「日の当たる場所」は貧しく無名な自分を支える最初の恋人を裏切り、「太陽がいっぱい」は自分を招待した親友を裏切る。その結果はともに法によって罰せられるのは、裏切りが殺人という結果を勝利のために必要としていたからだ。


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