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水田宗子

偶感

コロナ雑感1:「外出自粛」に思うこと

2020/06/1

今朝ゴミを出しに行くと向こうから大きなゴミ袋を持って、体を傾けながらゴミ収集場へ歩いてくる小さな男の子の姿があった。ゴミ捨て場に着くと、その子は自分のゴミ袋を置いただけではなく、網からはみ出している他人のゴミ袋を、網の下に入れていた。思わず「僕いくつ?」と聞くと、「小学校一年生」と元気に答えた。この四月に一年生といえば、もしかしたら入学式もなかったかもしれないし、それ以来学校は閉まっている。小学生になったという自覚が、このような健気なお手伝いになっているのかと大変嬉しい気持ちになった。

私が小学生になったのは太平洋戦争の最中であり、疎開先の千葉県安房郡勝山町でであった。疎開前も日中戦争が始まっていて、食料品を始め、生活物資は著しく欠乏していた。疎開先でも食糧難は日に日に厳しくなり、母と私たち幼い娘たちは、庭の前に麦畑を作り、庭にはサツマイモやイチゴを植えて、食料の足しにしたが、それでも戦争末期と敗戦直後は、食べられる野草はなんでも雑炊に入れていたし、食べものを家族で分ける、近所の子供達と分けるという食事は毎日のことだった。

食糧難について話せば、海のそばで、魚は取れるし、気候も温暖で、野菜が育つ恵まれた土地へ疎開した私の家族の欠乏とは比べ物にならない、凄まじい飢餓を経験した人たちがほとんどだったのが、戦後の事情だったのである。疎開中は常に警戒警報がなるのを不安に思ってはいても、子供達は学校に行き、遊び、そして何よりも家の手伝いをして暮らした。それは戦争中だからというよりは、田舎の子供達の平時の日常だったのである。

学校が閉まることは由々しきことだし、ジョッピングができないことも、公園で遊べないことも、車での遠出や海辺で潮干狩りやサーフィンができないこと、ショッピングが毎日できないことなど、は確かに平和で豊かな先進国日本の日常生活に慣れた私たちには、大変不便で神経を苛立たせるほどの我慢のできない異常な事態なのだろう。

NHKのインタヴューでイスラエルの哲学者ハタリさんはコロナ感染症との戦いを「戦争」だということに反論している。私も深く同感するところがあった。ウイルスと戦うという言い方には違和感はないが、「戦争」というメタフォアを使うことには大きな違和感を覚えるからだ。戦争中は増産、増産の一点張りだったし、命は国のために差し出した。敵は同じ人間で、その敵を奇怪な、邪悪な化け物に仕立てるために、あらゆる文化手段、メディアが使われて、ヘイトスピーチどころか、具体的な殺戮、暴力、差別が、正当化されたのである。

戦争中の「欲しがりません、勝つまでは」、というスローガンは主に食べものへの欲求に対して用いられ、ひもじくても我慢しようという自粛のスローガンだった。文句を言うな、と言う命令でもある。実際に食べ物はないが、それについて文句は言うなと言う思想統制である。

それに比べて、コロナ非常事体制下では、むしろ人々は食べることに、癒しを見つけようとしている。日本は食べ物に困らない、飽食文化の国なのだ。毎日テレビで見るのは、ニュース番組ですら、食べ物の番組だらけだ。どうしたらもっと美味しく料理ができるか、レストランへ行けないなら出前で、昼食や給食などの食事配給が脚光を浴びている。ホームレスや外国人で職を失った人たちへの食べ物の支給は大切なことで、これまでもボランティア活動の中心をなしてきた。しかし、子供達の給食に頼ってきた家庭で、三食作るのは大変だというのは、食べ物があり余っている時の話であるだろう。非常時なら、そんなことは言っていられないはずである。

個人的にはこれまで、自分たちが食べたものを写真に撮り、facebookなどに載せるサイトなどには「いいね」をしたことはない。疎開先で、子供達の着物や人形などまで背負って山奥の部落へ買い出しに行って帰ってきた時の母の姿が目に焼き付いているからだ。母は庭先にわらを敷いて、仕入れてきた野菜を広げ、近所の女性たちと分け合った。その中には戦後すぐに大流行となった赤痢で三人の幼い子供を残して命を落とした若い母親もいた。

庶民の日常生活に密着しているつもりのテレビ番組では、居酒屋やレストランにいけないこと、外食ができず、給食もなく、家での三食の準備がどれだけ大変かと言うこと、美味しいものを食べられないことがどれだけ残念か、と言うことを前提にして、食べる番組が氾濫している。「美味しい」「うまい」の表現と表情にはわざとらしさが満ちていて見るに耐えない。私の経験では、味覚のあまり発達していない子供達は、お腹が空いていればなんでも美味しいと食べたものだった。

先日終わった朝ドラ「スカーレット」は地方の町で暮らす貧しい家族が、戦争、戦後の窮乏時代を生き抜いて、主人公の女性が陶芸家になっていく話であるが、ちて制作されたこの二つのドラマに共通するのが、食事のシーンである。ちゃぶ台を囲んでの質素な食事を家族の誰もが勢いよく食べているシーンは嫌な感じを少しも匂わせないのである。

そもそもが、食べると言う行為は、排泄行為と同じく、人間は動物であることを示す行為で、その露骨な行為の意味合いを隠す為にも、人の食べ方はマナーとなり、社会的な階級やいわゆる「育ち」を表す指標となってきた。社会生活の点からは、他者が食べている姿は、あまり好感が持てるものではないのだ。唾きは飛ぶし、噛む音や舌鼓も、飲みこむ喉の音もする。げっぷもオナラもするし、排泄に立つ人もいる。ゴミは出る。そんな姿のグロテスクさは、西欧文学では独自な表現ジャンルさえ作り出してきたほどだし、飽食が清貧と比べて罪深いことも、宗教思想にまでなってきた。貪り食う姿は、肉食獣が獲物を競争で、戦いながら食う姿と同じであり、だから肉食を忌避してヴェジタリアンになる人が後を絶たないのだろう。

しかし、外出禁止で、食べ物の買い出しと、食べることへの興味の増大は、これらとは違う現象であると思える。買い溜め行為は、少ない食料を独り占めしたいと言う欲望の表れではあっても、それ以上に、食料品が十分にあったとしても、普段食べ慣れているそれらの食べ物が不足、欠乏することへの不安と危機感の表れのように思える。緊急時を今までの食べ物を我慢しなければならないことに不満を感じるのは当然としても、家で、自分で作って食べることへの不安や不平は、食糧難とは関係なく、日常と自分のあり方との関係への不安と裏腹であるだろう。

外出自粛を有事だからその期間だけ我慢して乗り切ろう、買いだめして、外出しなくても今までと変わりなく食べて過ごそうと言う、豊かな、欠乏を忘れた、飽食時代の有事のサーバイバルの意識なのである。

コロナウイルス感染症との戦いにおける生活の仕方の変容は、有事だからと考えるのではなく、これまでの文化を見直す機会となるのではないだろうか。少し前、ある作家が「清貧の書」という本を書いて、かなり多くの人々の顰蹙を買ったことがあったが、今もまた、質素な暮らしが健康にもよく、経済にもよく、社会的な礼節にも良いことを思い出す機会なのだと思う。

日本人は他者と会った時、握手やハッグ、キスなどをしない。離れたままで、頭を下げてお辞儀で挨拶をする。そのお辞儀を戦後のある時期まで、西欧の人たちからは随分と揶揄されてきた。それはマスクをする習慣も同じである。Social distancingとは他者にズカズカと近寄らない礼節の表現なのではないだろうか。ましてや他者の身体にやたらに触れない、相手を尊敬する気持ちの日本人の昔からの表し方である。

コレストロールの低い、野菜の多い、あまり油やバターを使ったソースを使わないで、手元にある素材を活かす、健康に良い日本食は、実は手間暇をかけているのだと専門家は言うが、それならば、外食と弁当を買う(支給される)文化に慣れた日本人は、「簡単」、「時短」料理を教えるテレビ番組を見るより、せっかくできた家にいる時間なのだから、手間暇かけて日本食を家中で作ってみてはどうだろうか。

Mindful eatingが西欧では流行っているが、食べるより料理をすることは最も座禅の瞑想に近い、自分を忘れる行為であるとも言われている。それに比べて食べることは、自分を前に出すことであると言う。我を忘れることのない、瞑想とは程遠い欲望行為なので、だからこそmindful eatingが必要なのかもしれない。それに比べて料理は自ずからmindful なのだ。コロナ非常時を有事としてではなく平時の過ごし方の見直しとして、「自給自足」な人生の過ごし方を考えてみれば、他者への、そして人間一般への考え方も新たに見えてくるものがあるのではないかと思う。

時代を代表する思想や価値観、そして強いリーダーシップが不在の、Gゼロ時代、「お願い民主主義」時代には、よく言われる「ポスト真実」、つまり、客観的に証明できる一つの真実なるものはなくて、皆が勝手に考え行動する、それに対して討論や説得し合うこともできない時代が、ポストコロナではなく今現在ここに来ているのだから、私たち一人一人が平時の生き方として感染症に対応することが必要なのではないだろうか。命が選別されることを受け入れる現象が、私たちが容認する平時の現象とならないためにも。


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