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水田宗子

幕間

本を手放す(1) ―断捨離派の一言、二言

2023/01/31

 

 先日蔵書を一部手放した。本棚のスペースが足りなくなり、熟慮の末、本の整理をすることにして、古本屋さんの店頭に置いてもらえるような「良い本」を選ぶのがいいと思った。私はこれまで、本を売ったことがなかった。棄てたことはもちろんない。戦後の本のない時代に育った私は、本は何よりも貴重なものだった。本を書くものとして、執筆の苦しさや喜びを知っているだけに、どの本も売ったり、捨てることはできないできた。私の亡くなった夫は、それに反して、読んだ本は次の本を買うために、古本屋で売る生活をして学生時代を過ごしたという。そこでは本は次の本を買うことのできる貴重な商品として通用していたことがわかる。彼は出版社でアルバイトをしていた学生時代から、生涯本を作る現場で仕事をしたので、本は彼の命と言ってもよかったのだ。小さな出版社を経営するようになった晩年には、古本屋を始めた元の同僚のために、商品となる本を自分の本棚から抜き出して持って行っていた。その姿を見ていたので、私はまず彼の蔵書を古本屋の棚に並べてもらうのがいいと思った。

 

ところが、私が良い本と思う本と、値のつく本とは全く違うことを知らされることになった。その上、古本業界の実態とは、私が本を探しによく出かける必要不可欠な場所や、夫を通して考えていた本の流通場所とは全く違うものになっていることも知った。心ある古本屋さんからは本が「捨てられる」までの経緯を詳しく説明してもらうことができたが、大抵の店は、いかに古い本は価値がないか、小説などの作品、そして、全集は引き取る価値がないとか、その上、本自体がもう売れる商品ではないこと、などをくどくどと説明される経験となった。人文分野を専門とする古書店でも、文学作品は買わない、という。デジタルでいつでも読めることと、作品を読む人が少なくなったことが理由だという。書き手の側から言えば、そのようなことはもうすでに長年、出版社や編集者から聞かされてきたので驚くことでははないが、古本屋に本を探しに出かける人を多く知ってもいるので、古本業界は本を商品として売ることが主なビジネスの出版業界とは少し異なるのではないかと思っていたのである。

 

空になった本棚のいく列かを見ると胸が痛んだ。夫は1950年代の初めの高校生だった頃から本つくりに関わってきた人で、森崎和江さんの「エロスと闘い」をはじめ彼が編集したり制作したりした本は多数である。それらは皆残しても、他のどれも彼が愛読したり、高く評価して大切にした本だからいい本に決まっていると、必ず本棚に並べてくださいと古本屋さんに頼んで、苦笑された。

 

戦後は本が本当になかった。戦争中は思想統制が厳しく、外国の書物はほとんど読めなかったし、占領時代も言論、思想統制があり、またひどい紙不足だった。独立して小さな出版社を経営するようになってすぐにオイルショックが来て、大変苦労したことも聞いている。本を売っては新たな本を買う生活をした時代を生き抜いて、本が捨てられる時代になった今日まで生きたことはつらかったのではないかとつくづく思う。作者を掘り出し、掘り当て、一冊の本を作るために何年もかけて共にリサーチをし、討論をして、著者の最初の本を多く作った経験を持つ戦後の編集者は彼一人ではなかったと思うと、そういう編集者や出版社が少なくなってしまった今、そして、古本を大切に引き受けてくれるのではなく、売れない、商品にもならない紙の束として持って行く古本屋引き取り人の後ろ姿を見ながら、大切な時代の終焉を痛感する経験となった。本はそばに置いておくだけで嬉しかったのにと今更ながら思う。

 

本を処分することは、断捨離の行為のように受け取られていることを感じたのである。家の中をスッキリさせ、空間を作り、心を整理することにお手伝いしますよ、と来てくれた親切な助っ人である。亡くなられた方の本、大学や研究所などからでる本などの回収で大変忙しいという話を聞いていると、反断捨離派の私は、一言、二言、言いたくもなってくる。そもそも断捨離は出家する人が、俗世の楽しみや欲望から身を離し、断ち切るための行為である。しかし現在では、戦後の消費経済時代に、物を買うことに価値を認め、欲求を膨らませた結果として、限られた生活空間を物で埋め尽くされて、身も心も、にっちもさっちもいかなかくなっている状態からの救済が、今流行りの断捨離であるだろう。別にそのことに反対しているわけではない。自業自得で物に埋もれて、自分では処理できなくなった人が、誰に助けを求めようと勝手である。

 

気になるのが、物をゴミとして捨てる、しかも自分の家から社会へゴミを出して、それを税金で、他者に処理してもらおうという行為である。ゴミを出して、家の中はスッキリしても、その後誰が、どのような賃金で回収し、どれだけ税金を使って、地球上で少なくなってしまっているゴミ捨て場へ運び、そして、どれだけのエネルギーを使って焼却し、どれだけの環境汚染を引き起こしているか、そのことには少しも考えを至らせないで、人生が変わりました、と言っていること自体が、そしてそれを助長するアドヴァイザーが、貧富の格差と環境汚染に加担しているかを知らないことである。

 

ほとんどの地域では住民がゴミ焼却炉の建設に反対する。しかし、ゴミは家から外に捨てる。個人が燃やすのではなくて、社会がその処理をするのである。バブルで物を買い続け、欲望を満足させてきた個人の後始末をさせられているのである。

 

そのゴミの量は年々増え続け、中でもコロナ時代には、通常の何倍かのゴミが出されてきているのである。親しい友人の息子さんはコロナで勤めていた店が次々と閉店し、今はごみ収集の仕事をしている。彼はその仕事にやりがいを覚えていて、色々と社会観察を進めているが、この間病院からのごみの出方が急増していること、そしてこれも急増した個人の家庭からのごみの出し方が乱暴になったことを話してくれた。中でも家庭からでるごみの多くがプラステイックの食べ物の容器であるという。

 

一般市民はマイバッグを持って買い物に行くが、お皿やボウルを持ってスーパーには行かないだろう。マイバッグを忘れると、3円から5円払ってプラステイックの袋を買わされる。なんという皮肉なことだろうか。私はいつも紙袋を要求するのだが、それが叶ったことは一度もない。薬局で、紙袋に入れてくださいと頼んだら、即座に断られた。個人は頑張っているのに、これでは全くの負け戦である。

 

本が紙製で、プラステイック製ではないのが、せめてもの慰みであった。

 

 

水田宗子
2022.11.5

 

(iiMWSニュースレター67号掲載 2022.12)

 


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