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水田宗子

幕間

新井高子さん「南島の透徹した眼差しー土方久功の詩」

2019/02/12

『カリヨン通り』18号の新井高子さんの土方久功(ひさかつ)の詩についてのエッセイ「南島の透徹した眼差しー土方久功の詩」は、改めて歴史に翻弄され、そして歴史に記録されることなく忘れ去られたかのような南島の人々の生活について考えさせられた。

土方久功については初めてその詩に触れる機会となったが、南島の魅力にとりつかれ、日本のゴーギャンと言われた彼については生存中も今も友人や仲間の間で高く評価されている芸術家であることがわかる。彼の詩作品は三一書房から全集が出ているとのことで、その全体も読めるだろう。

新井さんのエッセイは、1920年から40年まで日本の統治下にあった南島に住み文化人類学的なスケールの大きい仕事をした彼の南島への「目」についてであることが新しい。土方はパラオやサワタルの人々は豊かな自然の中で自分の生を生きることを全うしているので、決して沈黙しているわけでも、個人として孤独でもないと言っているのだ。これらの島々を開拓のために、戦争のために、そして戦後は世界権力闘争の戦略のために利用し、島の人々の生活を無視し、忘却の淵へ追いやったのは西欧先進国の歴史であり、その自己中心的な「目」である。石原俊氏の優れた硫黄島史(『硫黄島:国策に翻弄された130年』中公新書2019)とともに先進国に利用され続け、グローバルな歴史を語る視点から 取り除かれた島々に住む人々の生活と精神の歴史を知ることが、今どれだけ必要かを痛感させられた。

人が一人で死んだからと言って「孤独死」ではないように、歴史の中での孤島の「孤独」は人間の生命の孤独ではないのだ 。


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