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水田宗子

幕間

イギリス再訪(2)道連れ

2019/07/29

旅は道連れというが、私は随分道連れについて詩を書いて来たことに最近気がついた。今回のイギリス再訪は、 オックスフォード大学での講演の後、ロンドンに立ち寄ったくらいの短い間だったが、親友の和智綏子さんと一緒で、またUCLAで教えている息子も参加してくれて心置きないロンドンの2泊という滞在とも言えない短い滞在となった。オックスフォードでは私の以前の学生たちで今はアメリカの大学やオックスフォード大学の教授をしている人たちとの懐かしい再会もあった。中でも城西大学の 私の元で論文を書くための勉強をした学生だった オックスフォードの教授はグアム出身で、ロス、城西経由でオックスフォードへたどり着いた日本文学研究者である。他にもイギリス出身だが中学に入る頃家族がアメリカに移住したためにアメリカ育ちで、アメリカの大学で日本文学を勉強した 現在オックスフォード大学の教授や、オックスフォード大学出身のイギリス人だがアメリカの大学で日本学に出会い、日本に留学し、日本文学研究者となった人だが、 イギリスの大学教授の地位を定年までのあと数年以上あるのにやめたところで、これから日本に住む予定だという学者で翻訳家などなど、どこを見ても外国人の日本研究者は日本にたどり着くまでの道のりが大変込み入っていて、グローバルで、またその道が「ハイブリッド」であることに感心する。彼らは常にどこかでデイアスポラであることにも変わりなく、日本語が達者で、日本について、しかも日本人が知らないようなことを深く知っているのだが、日本人としてのアイデンテイティ意識はなく、地球上で日本を住む場所として選んでいるという感じである。

夏目漱石、芥川龍之介、 谷崎潤一郎、永井荷風、三島由紀夫、安部公房、中上健次、村上春樹、そして女性作家、と外国人研究者は日本文学のハイブリッド性やディアスポラ性を引き出して、 日本人による日本文学研究 の分野に新たな視野を提供して来たと言える 。

それは比較文学的視野と言われることが多いが、実際には、その視点は学問的なものであるより以上にもっと本質的な作家・批評家としての経験、中でも外国人として異国に住むという「外地経験」、そして、社会から逸れる感覚や意識が必然的に生み出す自己存在意識に基づく批評の視点であると思う。事実『無用者の系譜』は、古典の女性文学(女流文学)にも通じる日本文学史を貫く作家の自己意識の系譜でもあると考える。

自国の文学や文化を研究する学者に比べて、他国の文化や表現を研究する学者たちは、なぜその国を選ぶのか、という問いに答えを持っているのだろうかと、自分自身のことも含めて、いつも興味を抱く。そして答えはいつもあたかも偶然であったというような、からかい気味な口ぶりではぐらかされる。日本のこういうところに惹かれて、などと正直に答えてくれる人は少ない。アメリカ人の場合は、日本との関係が、日系人社会、戦争、占領、を含む戦後の政治的関係の深さもあり、そして大学における日本語や日本文化・社会関係授業もあって、大学からストレートに日本を選んで大学院、留学という研究者への道を歩む人もいるが、他の国の人はそうではない。

博士号を取得したのちの教職のポジションも大変狭き門なのであるし、翻訳家、通訳、企業での日本語を生かす就職口も少ないのが現状である。それにもかかわらず今回出会った研究者は定年までのかなりの年数を残して、退職し、日本とイギリスを自由に往復できる生活を目指すという。日本はそういう外国人研究者にとって住みやすい、仕事をしやすい場所なのだろうかと考えた。日本はこれから政府のスーパーグローバル補助金をもらった大学が、外国人教員を採用する機会が増えたり、外国人労働者への門戸が開けたりするようになっていくだろうが、自国にとってだけではなく、他国にとっても「無用者」扱いの詩人や、論文数が足りない研究者が 暮らすのに日本はもってこいの場所なのかどうか、と考えた。

私は原稿を抱えて異国に一人で滞在したいと常に願望してきたが、では具体的にどこにと考えるとなかなか決められないままである。自国よりも生活費が高いところは論外であろうし、言葉が通じなければ日常生活は困難だろう。社会的なポジションや肩書き、お金のある人は外国で居場所を持つことができるだろうが、詩人やジェンダー研究をしている人たちは「無用者」扱いをされるだろうし、そうかと言って、肩書きのないところで暮らしたいというのが、そもそもその人たちの願望なのだ。ただの人として暮らすこと、そのように生きる空間を持つことが が創作の原点だからである。世俗社会はそのようにできていないばかりでなく、肩書きばかりを尊重する人たちで、政府や官庁だけでなく、大学や研究所も構成されている。

しかしその「肩書きホモソーシャル」社会が必ずしも尊敬されているわけではないのが、肝心なことである。歴史に残る文化の資料やテキストは、肩書きを尊重する人たちによって作られることはなく、「風来坊」を志向する、肩書きホモソーシャル社会から「無用者」扱いされる芸術家や詩人や哲学者、そしてマイノリティのジェンダーを持つ人たちだからであることは、歴史が証明している。日本がそういう人たちにとって、自由で、一人でも暮らせる場がある余裕を持つ社会、文化であるといいと思った。

シルヴィア・プラスが「生きた」のではなく「死んだ」場所の前に50年前と同じように立って、残された幼子たちのそれからの「ハイブリッド」としての人生や、アメリカ人だったプラスにとって、イギリスは生きる場所ではなかったのか、と深い哀切を覚えた。


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