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水田宗子

幕間

【連載エッセイ】アメリカ 再訪 2018 (10)

2018/11/10

ボストンのヘヤーサロンで髪を洗ってもらった。担当してくれたヘヤースタイリストは元ニューヨークで日本人の経営するサロンで働いていたという。ウエスト・ヴァージニア州の出身で、ニューヨークは世界につながる憧れの都市だったという。彼は真っ黒な髪と黒いシャツとジーンズという黒ずくめの姿で、それを日本人の店のいわば制服だったので、とても気に入っていて、今でも変えることはないという。なるほどヘヤーサロンは客を美しく見せる場所で、彼らは黒子的存在だというのは、日本人らしい考えだと思った。職人は黒子という考えを日本人は昔から持っているのだ。しかし、彼は、ボストンは大変保守的なところで、皆それぞれの服装をしているのが普通で、黒ずくめの自分は浮いている、という。何が「自由」で、何が「保守的」なのか、聞いていてつい笑ってしまった。

1960年代のアメリカは若者たちが中産階級的、企業文化的な行動規範や、生活様式に反抗して、髪を長く伸ばしたり、髭を生やしたり、Tシャツやジーンズを履いて、まず服装や見た目の反抗をしたのだった。私が留学したころイエール大学の学生食堂ではネクタイと上着を身につけなければ入れてもらえなかったのだ。その頃は男子だけの大学だった。各自好きな格好をすることは自由の象徴であったのだ。ところが、ヘヤースタイリストによると、それは「保守的」なボストンの習慣で、黒ずくめをする自由が奪われているということになる。

私がアメリカを離れた1980年代は、アメリカは暴力と麻薬で蝕まれた、住むのに安全でない国となっていく過程にあった。その後、イラク戦争や9・11などの試練を経ながらも、現在まで強力な武力と経済力を兎にも角にも保った「白人」大国として西欧世界に君臨をしている。その反面で、社会の管理体制の強化と富の格差、人種差別による軋轢が、アメリカを内的崩壊の危機を孕んだ、その意味で、危険な国にしている。その危険をアメリカ自身が感じるからこそ、トランプ大統領のような強いアメリカを全面に押し出し、「アメリカ第一」の声を大きく発するリーダーが支持されるのだと思う。

富の蓄積が文化伝統の維持を可能にしているニューイングランドの再訪は、私に、感嘆と同時に幻滅のような気持ちを抱かせた。私もまた、アメリカの前衛文化に憧れた一人だったからである。しかし、メイン州で、小さな港町で生計を立てる漁師や農民を描き続けたワイエスの作品に多く触れた後は、アメリカ・ルネッサンスという、古いヨーロッパの宗教と文化の伝統から脱却して、新しい民主的アメリカへの移行を可能にした思想的、文学的潮流が、深い闇を小さな田舎町に住む人々の心に形成していったことを改めて 感じたのである。 よく知られた作品、中でも野原を這うようにして家に向かおうとしている女性の絵はあまりにも有名であるが、 このように多くの漁師や大工などのローカルに生きる人々を描いた作品を 残しているとは思わなかった。それは全くのリアリズムの作品で、かえってそのリアルな細部にわたる描写が、シュールリアリズム的な、見えない内面の表現となっていることに、そしてその寡黙な、救いようのない暗さに、改めて戦慄させ覚えたのである。

それはロックフェラーの巨額の富を投入した楽園の再現としての東洋庭園とは対照的な世界だった。そして富豪や有識者が意図的に保存した原始林の見事さとも対極的な、滅びゆく街に住む人々の内面の、現実の姿を描き出していると思った。アメリカはどこまでいっても、矛盾するものが並存する文化だったことになぜか安心するような気持ちになったことも事実だった。アメリカは今抱えている「世界の中のアメリカ」の危機をどのように乗り越えて、新たな地平線を見出していくのか、中西部も再訪したいと強く思った。

 


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