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水田宗子

幕間

【連載エッセイ】アメリカ 再訪 2018 ⑥

2018/11/8

ユルスナールの家:「孤独」の居場所

 ユルスナールの家があまりにも生活感の鮮明な家、具体的な生活の様子が目に浮かぶ現実な生々しさを残した場所であることに私は驚きを感じたのだった。ユルスナールの作品から受ける強烈な孤独感とその世界に生きる作家の孤高で、深い沈黙に満ちた記憶の空間こそが外国の極致の島にある家というイメージを確固たるものとして私の脳裏に焼き付けられたからだ。ユルスナールの文章は大変客観的な忠実に基づきながらも、その世界は現実と過去の記憶、個人と世界の記憶の境界が曖昧になった世界であり、まるで絵の中の遠景の人物のように彼女はその世界の一部として在り、彼女は作家として、個人として、その内面を通して、世界と他者の経験と記憶と個人のそれとが交わり合う領域へ到達するのだ、と考えていたのだったからである。
 しかし実際に今も当時のままに引継がれ、住まわれている家は、生活感に満ちた、明るく、また居心地の良さそうな、決して質素とは言えない、インテリ女性の住むにふさわしい家だった。彼女の階級意識、文化的趣味の高さを示す民芸品やインテリア、本と知識とで埋め尽くされた創作の空間、サロンとは言えないまでも、訪問客を受け入れる客間や寝室、と余裕に満ちた知識人の女性の居場所として贅沢な、都会の家と変わらない空間を彼女が作り上げていたことに、意外感を感じたと言っていいのだろうと思う。
 では、私はどのような家、どのような内部空間を想像し、期待していたのかと聞かれれば、それを具体的なイメージを伴っていたわけではないとしか、言えないだろう。メインの砂漠山島は極寒の地であり、冬の寒さはよそ者には耐えられないという。ユルスナールは最晩年の数年を除いては冬はそこで過ごすことはなかったのだ。彼女は旅行好きで、世界のさまざまな場所を訪れ、冬はその他や都会で過ごすことが多かったという。世界中から講演の招待を受け、フランスアカデミーの最初で現在までただ一人の会員として、作品も作家としても生涯高い評価の中で生きた作家だった。ユルスナールはレズビアンで、パートナーと生涯一緒に暮らしていたが、家とその内部空間は性のやさしさ、痛みや苦悩の影を全くと言っていいほど感じさせない、むしろ、そういう意味ではあっけらかんとした、明るくて、清潔で、外へ向かって開け放されて空間だった。もっとも私は彼女たちが実際に暮らしていた時の家の内部を知らないのだから、現在の家から勝手なことを言っているのかもしれない。
 そこから感じるのは、評価の定着した、生活に困らない作家は、誰でも自分の趣味と生活の仕方を貫ける、そして書くことに集中できる書斎や家、自分だけの居場所を求めるのが、ごく当たり前なことだろう、ということだ。そして売れない作家や生活に余裕のない作家たちにはそれが最大の贅沢としての憧れであるだろうということだ。成功した作家や芸術家たちは皆そのような自分だけの居場所を求めて手にいれたのではないだろうか。私の訪ねた作家たちの家はポーを除けば皆その点で共通していたと思う。ポーにしてもあの小さな貧しい小屋で黒猫という名作を書いたのだから、というよりも、あの寒い小屋で幼な妻を看取ったのだからこそ、名作が生まれたのだと言ったほうがいいのだろう。
 そう考えると、こともあろうに極寒の異国の島を選んだユルスナールはやっぱり少々変わっていて、彼女らしいと思う。冬のメインの海に面した島は孤独の居場所なのだと思った。

 

国際メディア・女性文化研究所「ニュースレター」より


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