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水田宗子

幕間

【連載エッセイ】アメリカ 再訪 2018 ②

2018/09/20

 コンコードはあまりにも有名な超絶主義者たちの居場所で、エマーソン、ホーソーンも住み、ソローのウオールデンもある。ケンブリッジと隣接したボストン郊外と言っていい街だが、街全体が森の中にある印象である。その森の深さに私は今回の訪問で改めて感動を覚えた。私が留学した当時はニューイングランド全体の経済が疲弊していく時代だった。様々な製造工場が閉鎖されていき、新しい産業はアメリカの他の地域へとその拠点を移していっていた。アメリカの経済が全世界を席巻していく時代に、ニューイングランドはボストンも含めて、そこから取り残されている感じだった。そのためにコンコードや古い町を訪れても、その古さの持つ伝統には深い共感を抱いても、そこに富の蓄積があることを実感するということではなかった。

 今コンコードはアメリカ東海岸でも有数な高級住宅地であり、そこにアメリカの歴史と伝統だけではなく、その伝統を保持し抜いてきたことによる富が経済的な蓄積として顕在化していることが明白である。アメリカ文化をヨーロッパ文化から自立させたアメリカルネッサンスと呼ばれる時代を作った思想と文化は、自然と物質文明、清教徒宗教政治・文化を対立させて、自然に価値の源泉だけではなく、理想への道を求めた思想に基づいている。個人と神の間に教会ではなく自然が存在するのであって、個人は自然に没入することを通して神の真実にも、存在の真実にも到達することができる。自然の奥深くに入っていくことが自分の内面に対峙することであるという思想は、西欧ロマン主義の延長ではあっても、アメリカの手付かずの原始的自然の中で暮らすことを通して実体化された思想であったのだろう。質素な暮らしを可能にしたコンコードの森の中の生活拠点は、今や一般の人には手の届かない資産価値を有する不動産となっている。

 オルコットの家は、実際今見れば大変立派な家である。オルコットがそこに住んだ時は「薪にするしかない」古家だったが、オルコット自身の手で一年以内に今見るような良い家に立て直したということである。超絶主義者たちは知的エリートだったが、決して資産家や金持ちではなかった。オルコットも家を購入する頭金のほとんどをエマーソンに頼ったということであり、一家の暮らしは娘のルイザや妹のメイが家庭教師などをして働かなければならないほど生活費には窮乏していたという。

 前日訪れたロングフェローの家との比較はその点でも興味深い。彼は資産などない家柄の大学教師だったが、今でもその名が美術館などに残るアップルトンという有名な資産家の娘と結婚して、彼女の父親から家を結婚のプレゼントとしてもらっている。ヘンリー・ジェイムスの世界がそこには展開していたのだ。アメリカで林業や製鉄業、繊維、製紙、石油業などで成功を収めた大富豪の娘たちは「文化」を学ぶためにヨーロッパ観光旅行に出かける。19世紀から始まる大観光時代はアメリカの成金たちによってもたらされたと言っていい。「文化」の汚れを知らない「無垢」なアメリカ娘たちは財産目当ての貴族や知識人たちと結婚して、そこで「堕落」とはなんであるかを知り、自らも成長していく。それはキリスト教の「無垢」と「経験」の物語ではあっても、「アメリカ物語」としてヘンリー・ジェイムスの小説を貫くテーマを形成している。自然と金があっても文化がないと言われてきたアメリカの、独自な倫理観念と価値思想に基づいた新しいアメリカ文化の誕生を、そのヨーロッパ文化に対する優位性を、「経験と無垢」、「都市と自然」の対比とそれを乗り越えるアメリカの試練の物語、「幸運なる堕落」の物語としてアメリカ文化の根源的な「物語」としてヘンリ・ジェームスは定着させたのである。

 ロングフェローは金持ちの妻に「文化の堕落」を経験させるどころか、アメリカ詩人として世界に認められ、ハーヴァード大学教授として、アメリカの実業家では手に入れることのできない名声を家族にもたらした。それはやはり、「成金」としてヨーロッパから軽蔑されたアメリカの富の力であったことは確かだろう。安定を可能にしたことには違いがないだろう。ロングフェローの妻は事故で43歳のわかさで亡くなるが、彼は二度と結婚せず、家族は1930年代に至るまで、家を守り続けている。家族主義を基礎にした民主主義アメリカの形成過程をそこに見ることができるのだと思う。

 一方「果樹園の家」のオルコットは質素な暮らしと娘たちの自立を推奨する新しい教育理念の実行で、明るく、自由な家庭を築いた。アメリカが宗教的倫理より家族の幸福を、神の制度より民主主義の制度を、という清教徒のアメリカから家族を中心とした民主主義アメリカへと移行する時代を、ロングフェローもオルコットもリーダーとして生きた代表的な知識人であったことでは共通している。

 オルコットの妻のアビゲイルは奴隷解放や女性の参政権運動など時代の思想と活動を支援した女性だったというが、台所の主、家庭の中での妻と母という役割を尊く、重要だと考えたオルコットの女性思想を忠実に生きた女性でもあったことがわかる。アメリカの近代女性解放運動は、女性の参政権獲得、社会的平等の主張よりもさらに直接的に家族民主主義による家庭内の男女平等、主婦の権利と尊厳の保証、女性の教育機会の推進において進められたことに由来していると思う。オルコット家には4人の女の子がいたのだから家庭の幸せは女の子が成長していく家庭の幸せと重なっているのだ。

 しかし、やがて家庭における平等と主婦の地位の保証が、かえって女性を家庭内に閉じ込め、個人としての女性の内面に危機をもたらす現代における典型的な女性抑圧となっていったことが、1960年代のフェミニズム運動へと発展していったのである。

 ナサニエル・ホーソンはエマーソンやオルコットに比べてはるかに懐疑的で、人間の内面や心理に深い興味と洞察力を持っていた作家だが、経済的にも、社会的名声に恵まれなかったと感じていたらしい。しかしその結婚生活は愛に満ちて幸せだったという。妻のソフィアは資産家の出ではなかったが、決して宗教倫理や伝統に縛られた女性ではなく、多くの作品を持つ画家で、著書もいくつか残している。最近は作家の妻に焦点を当てた研究が多くなされているが、家を訪ねるのは、作家の創作や思考の場を知ることと同時に、妻と営む家庭生活を知ることでも興味深い。

 「The old Manse」はエマーソン家の家で、ホーソーンが結婚後数年エマーソンから借りて住み『The Old Manse』という短編集が書かれている。ホーソーンは宗教や政治思想において複雑な立場と迫害の経験を持つ父と祖父、親族を持っていたので、そもそもキリスト教に関してはアンビヴァレントな内面を子供の時から持っていたのではないだろうか。代表作の『緋文字』は、一人の既婚の女性を愛し父となった牧師が「父」とは何か、という問いを自らに問うて苦しむ物語だが、その問いへの答をロングフェローもオルコットも、そしてもちろんエマーソンも、すでに実践していたつもりなのだろう。それが女性の家庭への封じ込めであることが社会問題となっていくのは、家庭民主主義は父に変わる夫の経済力が家庭を維持していく絶対的な力となっていく中産階級の誕生が20世紀アメリカを形成していく過程であった。

 象徴的な父の消滅は宗教的アメリカから、家庭主義民主主義のアメリカへの移行で達成できたかもしれないが、その移行は物質主義アメリカの発展を阻止できなかったばかりでなく、豊かな家庭を実現する夫の経済力の重要性を明確にすることで、結婚の重要性や離婚や妊娠中絶の禁止を社会制度の織り込むことでの家庭主義民主主義社会を維持していく方向性を明確にしたのである。

 

~つづく

 

 

国際メディア・女性文化研究所「ニュースレター」より

 

 


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