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水田宗子

幕間

2017/08/14

その犯罪者をヒーローにするために、彼らが「裏切られた者」であることが物語のフレームになっている。そしてオーシャンの犯罪に加わる者たちはその誰もが、社会的に逸れた者、社会で人間的に不当な扱いを受けた無念を抱えている弱者たちである。オーシャンの犯罪は人間的なプライドを取り返すためでもあることが明らかな筋書きの枠組みを構成している。しかし、犯罪者をヒーローとする、つまり犯罪者に同情し、その内面に沿って展開する物語としての犯罪映画は、すでに目新しくは無くなっているものの、それでも犯罪はペイしないという筋書きの方が現在でも主流であることは確かなのだ。社会的には罰せられるべき犯罪者に同情し、一体化する物語は、悲劇である場合を除いて、相変わらず勧善懲悪のフレームの中で展開される。 犯罪者の権力を持つ者たちへの仕返し、社会的強者によって自己の尊厳が否定される悔しさ、そもそも犯罪も犯罪物語も、例えその悪を描く場合でも、反体制的であり、弱者の物語であることは必然であるのかもしれない。権力者の裏切りは犯罪とはみなされない必要な「改革」や体制維持として合法化されるからだ。


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